「どうもその印籠やお金が女の子の家に転《ころ》がっていたというのは怪しいけれど、わたしはどうも、あの二人の仕事ではなかろうと思っている」
「大きに……この町でも二通りの説がございまして、お玉や米友は決して盗みをするようなやつらではないというものと、でも証拠が上っている以上はあいつらの仕事かも知れないとこう言っているのと、半々なのでございます」
お絹の伊勢へ来たのは一人ではありませんでしたが、今は一人で残っているのでありました。その連れというのは、番町の神尾の邸へ集まる例の旗本の次男三男のやくざ者が五人、それにお絹ともに女も三四人まじっていたのでありました。最初の晩、備前屋でお玉を呼んで間の山節を聞いた若い侍たちというのはそれらの連中で、そこですっかり持物を盗られてしまったというのもそれらの連中でした。お絹の一人だけ後に残った理由としては、この盗難の跡始末を見届けて行きたいということが一つでありましょう。
按摩が帰ると薄化粧をして、身なりを念入りにととのえた、お絹のあだっぽい被布《ひふ》の姿はこの宿屋から出て、酔っぱらいのお医者様が来たら部屋へ通して酒を飲ませておくように宿へは言置きをして、自分は直ぐ戻るような面をしてどこへか出かけて行きました。
十七
噂の通り米友は大湊の浜でつかまってしまいました。
竿を持たせてこそ米友だけれど、素手《すで》で水の中を潜《くぐ》って来たところを折重なって押えられたのだから、めざましい抵抗も試むることができないで縄にかかってしまいました。
いろいろに調べられたけれどもついに白状しません。白状すべきことがないから白状しないのを、それを剛情我慢と憎《にく》まれて、よけいに苛《いじ》められるものですから、米友は意地になって役人をてこずらせてしまいました。
お玉の家にあった印籠と二十両の金とがただ一つの証拠となって、それについて弁明すべきお玉がいないのだから、調方《しらべかた》の有利に解釈されて、米友にはいよいよ不利益な証拠になってしまいました。
そこで米友は、ついに盗人《ぬすびと》と、それから町を騒がしたという二つの罪でお仕置《しおき》を受けることになりました。
縄がキリキリと肉へ食い込んで、身体《からだ》の各部分が瓢箪《ひょうたん》のようになっている米友は、隠《かくれ》ヶ岡《おか》へ引っぱられて行
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