崎という浪士が、寝ころんでいた自分の枕許《まくらもと》で見つけ出したのが貧乏徳利《びんぼうどくり》であります。
「やあ、それを見つけられてはたまりませんな」
「何だ、酒か」
それだけは隠しておきたかった。惣太がいま猪の肉を煮ていたのは、実は取って置きのその濁酒《どぶろく》を一杯やりたかったからであります。肉の方は、いくらでも御用に立てるが、酒の方はかけ換えがないから、それを見つけ出された惣太は苦《にが》い面《かお》をしました。
「うむ、猟師、人が悪いぞ、これを隠して一人でこっそり飲もうなどは不届《ふとど》きだ……一升はしかと認めた、茶碗を出せ、さあ、おのおの」
肉の煮える間、一升の濁酒は十一人の口を潤《うる》おしている。
それを傍《はた》で見ている惣太の顔色はない――惣太が、こんな危ない時世に、山奥へわけ入って猛獣を追い廻しているのも、この一升が生命《いのち》なのであります。
それをみすみす人に飲まれて、自分は指をくわえながら、料理方を承わっている辛《つら》さ口惜《くや》しさというものは容易なものではないのでした。
「猟師、猟師」
肉の煮えた時分に惣太の姿が見えなくなっていま
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