だ八町ほどある、そこへ行くまでに大師堂を左にと下れば御禊《みそぎ》の滝があるのであります。
 大した滝ではありません。幅が五寸に高さが二丈もあるか、それが岩の間から落ちて一|泓《おう》の池となり、池のほとりには弁財天の小さな祠《ほこら》があって、そのわきの細いところから、こっそりと逃げて水は日高川へ落ちる。この池を御禊の池といって、椎《しい》の木が二本、門柱でもあるかのように前に立って、それに注連《しめ》が張り渡してありました。護摩壇《ごまだん》へ懺悔《ざんげ》に行くものは、きっとここの滝へ来て、まず水垢離《みずごり》をとるのが習わしでありました。
 それでお豊は、すぐに修験者のいる護摩壇へは行かないで、その大師堂を左にと御禊の滝まで来かかったわけでありましょう。
 月もあるにはある、夜も更けたわけではない。それでも、このところ、この道は決して気味のよいものではありませんでした――草叢《くさむら》でガサと音がする、木の間でバサと音がする。お豊は、もう一歩も歩けないように足をとめたことが幾度《いくたび》、それでも早や、滝壺に近いところまで来ていました。檜笠作りの六助の口占《くちうら》を引
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