な」
「豪いものじゃ。早く見つけ出して、立派に討たせて上げたいものじゃな」
「なるほど、十津川からこの竜神へは、落ちて来そうなところじゃ。しかし竜神といっても、人家はこれ僅かなものにしてからが、あの山、この谷をさがすとしたら容易なものじゃあるまい」
「まあ、当分は御用心のことじゃ。落人じゃとて一人に限ったものでもあるまい、どこにどんな人が幾人かくれていることか、なんにしても今年は災難な年じゃ」
「でもまあ、よく『清姫の帯』がお出ましにならないことよ」
「左様さ、これで清姫様の帯でもお出ましになったら、それこそ竜神村の世の終りだ」
「左様でござんすなあ、清姫様の帯も、もうここ五年がところもお出ましにならぬが、なにぶんにも、このままで無事に済んで下さればなあ」
「いや、もう大丈夫ですよ、清姫様の帯が出るのは、おおかた夏にきまってますからな、もう早や秋の分だから心配はない」
「そうでがすなあ」
 しきりに「清姫の帯」、「清姫の帯」という。それが帳場にいたお豊の耳へは妙にひっかかって、今までの無駄話のように聞き捨てておけない気持になりました。
「あの、皆さん」
 お豊は帳場の方から言葉をかけて
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