、その「清姫の帯」であって、牟婁郡《むろごおり》から来て有田郡《ありたごおり》の方へ流れているのであります。
 お豊は、この土地へ来て、「清姫の帯」を見るのはこれがはじめてですから、ただ、まあ珍らしく細長い雲と思ったばかりですけれども、もしこの土地に永く住み慣れた人ならば、面《かお》の色を変えて、戸を立て切り、明朝《あす》とも言わずに竜神の社へ駈けつけて、祈祷《きとう》と護摩《ごま》とを頼むに相違ないのであります。
 ことに、東、鉾尖ヶ岳から、西、白馬ヶ岳までつづく「清姫の帯」は、土地の人にいちばん怖れられています。
 三年に一度あるか、五年に一度あるか、とにかく、「清姫の帯」が現われることはあっても、この二つの山までつづくということは滅多《めった》になく、もしそれがあった日には、土地の人は総出で竜神の社へ集まり、お祓《はら》いをし、物忌《ものい》みをし、重い謹慎をして畏《おそ》れる。最初にそれを見つけた人は、その歳のうちに生命《いのち》にかかわる災難があるのだということでありました。
 今、土地の人はみんな眠っている。おそらくこれを見たのは、お豊一人であろう――お豊の、そんな言い伝え
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