ず》を布で捲《ま》いたのや、いずれも劇《はげ》しい戦いと餓《うえ》とにやつれた物凄《ものすご》い一団の人でしたから、
「やあ、お前様方は何だ」
「驚くことはない、これから紀州の方へ通る者だが道に迷うた、暫らく休息させてもらいたい」
「へえ、よろしゅうございます、こんな狭苦《せまくる》しいところでございますが」
 惣太は杉板を三枚合せて綴った戸をあけて、中へ一行を招《しょう》じ入れたが、気味の悪いことは夥《おびただ》しい。
「お前様方は、あの天誅組のお方様でございますか」
「何でもよろしい、そこを締めろ」
「へいへい」
「さあ、猟師、何か食うものはないか」
「別に何もございません、なにしろ、この通りの山小屋でございますからな」
「それは何だ」
「これは猪《しし》でございます」
「猪! それは至極《しごく》よろしい、その猪を売ってくれんか」
「お売り申してもよろしゅうございます」
「よしよし、それでは買おう、鍋もそのままにして、味噌か醤油もあるであろうな」
「エエ、ただいま出して上げまする」
 思わぬところで意外の御馳走《ごちそう》。一行は炉の周囲《まわり》をかこんで小舎《こや》いっぱいに拡《ひろ》がって、
「猪の肉とは有難い――猟師、もっと大きな鍋はないか」
「へえ、こちらにございます」
 惣太は、いま炉にかけてあったのより、やや大きい三升焚きぐらいの鍋を押入の中から引張り出して、それから上り口へ寝かしておいた猪の股《もも》のあたりの肉を切りにかかった。
「大きなやつだな、この辺には、こんなのがたくさんいるか」
「へえ、大分いるにやいますがね、近頃は戦争で鉄砲の音がやかましいものですから、みんな紀州筋へ逃げ込んで、やっと五日もかかって、こいつを一つ仕止《しと》めたのでございます」
「そうか、なんにしても有難い、代《だい》はいくらでも取らせるぞ、早く料理をしてくれ」
「では、こうして丸切りにして、鍋の中へぶち込んで、ぐつぐつ煮立てて進ぜましょう」
「それがよかろう、よかろう」
 惣太はよく働いて猪の肉を煮てやります。気味が悪くてたまらないけれども、ぐずぐず言えば、どんな目に逢《あ》うか知れたものでないから、神妙に言われる通りに世話していると、浪士らは寝たり起きたりして肉の煮えるのを待ち構えています。
「おいおい、猟師、黙っていてはいかんぞ、ここに有難いものがある」
 磯崎という浪士が、寝ころんでいた自分の枕許《まくらもと》で見つけ出したのが貧乏徳利《びんぼうどくり》であります。
「やあ、それを見つけられてはたまりませんな」
「何だ、酒か」
 それだけは隠しておきたかった。惣太がいま猪の肉を煮ていたのは、実は取って置きのその濁酒《どぶろく》を一杯やりたかったからであります。肉の方は、いくらでも御用に立てるが、酒の方はかけ換えがないから、それを見つけ出された惣太は苦《にが》い面《かお》をしました。
「うむ、猟師、人が悪いぞ、これを隠して一人でこっそり飲もうなどは不届《ふとど》きだ……一升はしかと認めた、茶碗を出せ、さあ、おのおの」
 肉の煮える間、一升の濁酒は十一人の口を潤《うる》おしている。
 それを傍《はた》で見ている惣太の顔色はない――惣太が、こんな危ない時世に、山奥へわけ入って猛獣を追い廻しているのも、この一升が生命《いのち》なのであります。
 それをみすみす人に飲まれて、自分は指をくわえながら、料理方を承わっている辛《つら》さ口惜《くや》しさというものは容易なものではないのでした。
「猟師、猟師」
 肉の煮えた時分に惣太の姿が見えなくなっていました。
「猟師、どこへ行った」
 呼んでみたけれども返事がない、一同は少しばかり怪しんだけれども、さして気にも留めず、それから寄ってたかって猪の肉を突く。
「猟師はどこへ行った」
「逃げたかな」
「逃げたようじゃ、逃げて訴人《そにん》でもしおると大事じゃ」
「いいや、訴人したとて恐るるに足らん、藤堂の番所までは六里もあるだろう、ゆるゆる腹を拵《こしら》えて出立する暇は充分」
「よし十人二十人の討手が向うたからとて、かくの如く兵糧《ひょうろう》さえ充分なら、何の怖るることはない」
「とかく戦《いくさ》というものは、腹が減ってはいかん」
「古いけれども、それが動かざる道理」
「それにしても、中山侍従殿には首尾よく目的のところへお落ちなされたかな」
「こころもとないことじゃ」
「十津川を脱《ぬ》けて、あの釈迦《しゃか》ヶ岳《たけ》の裏手から間道《かんどう》を通り、吉野川の上流にあたる和田村というに泊ったのが十九日の夜であった」
「その通り」
「中山殿はじめ、松本奎堂、藤本鉄石、吉村寅太郎の領袖《りょうしゅう》は、あれから宿駕籠《しゅくかご》で鷲家《わしや》村まで行った、それから伊勢路へ走ると
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