られた女の一念が鬼になったり、蛇になったり、薄情な男にとりついたり祟《たた》ったりする」
「やあ、わしらがうちでも、引っ掻いたり、噛みついたり、毎日、清姫様の祟りでとてもやりきれねえ」
夫婦喧嘩をすることにおいて有名な駕丁《かごや》の松が茶々を入れる、一同がまたドッと笑い出す。それにもかかわらず六助は大まじめで、
「笑い事じゃない、わたしは実地に、女の怨霊《おんりょう》というものを見たからそういうのだよ」
「お化けを見たのかい、女の」
「ああ、見たよ、女のお化けを眼《ま》のあたり見届けたことがある」
「どこで見たい、聞きたいね」
「わしが、和歌山の御城下のさる御大家《ごたいけ》に御奉公している時分のこと……」
お化けの話。浮《うわ》ついていた者が六助の面《かお》を見ると、嘘ではない、ホントにお化けを見たような面をしているので、ちょっと茶化しにくいのである。
「その御大家に一人のお嬢様がおありなすった……それはそれは、よい御容貌《ごきりょう》でな、すごいほどの美しさだ。そのお嬢様が、お年は十九の春……」
六助は、自分で凄《すご》いような身ぶりをして、せりふ[#「せりふ」に傍点]にくぎりをつけたが、まるきり芝居気《しばいっけ》で話すのではない。
「紀三井寺《きみいでら》の入相《いりあい》の鐘がゴーンと鳴る時分に、和歌浦《わかのうら》の深みへ身を投げて死んでおしまいなすった」
紀三井寺の入相の鐘の音《ね》というところに妙に節をつけて――つまり鳴物入《なりものい》りで話にまた相当の凄味《すごみ》がついた。
お豊は六助の話を、あんまり身を入れては聞いていなかったが、この時、総身《そうみ》に水をかけられるような気持になりました。
聞いていたほかの連中も、なんだかこう、少しものすごくなってくる。
「六助さん、まあ、そんな怖い話はよして、今の帯の謂《いわ》れを聞かして下さいな」
お豊は、言葉をはさんで、和歌山の大家の娘が入水《じゅすい》したという怪談を打消そうとしたのでした。
「なるほど、ではそのお嬢様の幽霊話はあとにして、清姫様の帯の謂《いわ》れ因縁《いんねん》から説き明かすことに致しましょう」
ようやく話は本問題に入るのである。
「まず――紀州|牟婁郡真砂《むろごおりまさご》の里に清次《きよつぐ》の庄司《しょうじ》という方がおありなすったと思召《おぼしめ》せ」
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