な」
「豪いものじゃ。早く見つけ出して、立派に討たせて上げたいものじゃな」
「なるほど、十津川からこの竜神へは、落ちて来そうなところじゃ。しかし竜神といっても、人家はこれ僅かなものにしてからが、あの山、この谷をさがすとしたら容易なものじゃあるまい」
「まあ、当分は御用心のことじゃ。落人じゃとて一人に限ったものでもあるまい、どこにどんな人が幾人かくれていることか、なんにしても今年は災難な年じゃ」
「でもまあ、よく『清姫の帯』がお出ましにならないことよ」
「左様さ、これで清姫様の帯でもお出ましになったら、それこそ竜神村の世の終りだ」
「左様でござんすなあ、清姫様の帯も、もうここ五年がところもお出ましにならぬが、なにぶんにも、このままで無事に済んで下さればなあ」
「いや、もう大丈夫ですよ、清姫様の帯が出るのは、おおかた夏にきまってますからな、もう早や秋の分だから心配はない」
「そうでがすなあ」
しきりに「清姫の帯」、「清姫の帯」という。それが帳場にいたお豊の耳へは妙にひっかかって、今までの無駄話のように聞き捨てておけない気持になりました。
「あの、皆さん」
お豊は帳場の方から言葉をかけて、
「何でございます、その清姫様の帯と申しますのは」
集まっていた無駄話の連中は、一斉にお豊の方を向いて、
「清姫様の帯とは何だとお聞きなさる……なるほど、お前様はこの土地ッ子では無え」
六助はいま更《あらた》めて、お豊が他国人、ついこのごろ来た人であるかのように合点《がてん》して、
「それでこそ、そうお聞きなさるも無理はない。清姫様というのはね、それ、能狂言にある道成寺《どうじょうじ》……安珍清姫《あんちんきよひめ》というあの清姫さまでございますよ」
「ああ、そうでございますか」
その清姫ならば、どんな他国者でも大抵《たいてい》は知っている、それはずっと昔のこと。その帯がどうしたとか、こうしたとか、それがわからないことです。
「その清姫様の帯が、どうしたのでございます」
六助は話し好きです。今日は人足に駆り立てられて半日をつぶし、エエあとの半日もつぶしてしまえと、ここで無駄話をしているくらいですから、お豊から因縁《いんねん》を問われてみれば渡りに舟で、
「それは、こういうわけなんでございますよ」
六助は煙管《きせる》の皿を掃除にかかった。
「ようございますか、お内儀《かみ》
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