人が眼を円くして、
「大先生、まあ、どうして御存じでございます、まだどこへも沙汰をしませんに」
「そうか、それは男の子であろうな」
「左様でございます、どうして、それがおわかりになりました」
「そんな夢を見た、なんにせよ、めでたいことだ」
といって立去ってしまったことがある。
 また或る時、借金のために財産をなくしかけて、首を縊《くく》ろうか、身を投げようかと思案しながら道を歩いている町の人に出遭《でっくわ》したことがある。
「杢右衛門《もくえもん》、お前は何を心配している」
「へえ……」
「お前の後ろには死神《しにがみ》がついているぞ」
「ええ?」
 男は慄《ふる》え上がって後ろをふり向くと、丹後守は笑いながら、
「もう少し前へ出ると金神《こんじん》が待っている」
 丹後守はこの男のために借金と死神を払ってやったことがあります。こんなことは丹後守にあっては珍らしいことではなく、雨が降ること、風の吹くこと、火事のあることなども前以て、よく言い当てたものです。
 竜之助一行を送り出しておいて、しきりに胸さわぎがしたので、読みかけた本をふせて、丹後守は座右の筮竹《ぜいちく》と算木《さんぎ》とを取って易《えき》を立ててみました。そうして、
「内山殿、内山殿」
 二声ばかり呼んでみました。
「はい」
 いつぞや、竜之助を玄関に迎えたところの青年でありました。
「あのな、甚だ御苦労だが、貴所と、それからモ一人、高江氏を煩《わずら》わしたらばと思うが、ちょと近い所まで行ってもらいたいのじゃ」
「承知致しました。いずれへ」
「初瀬の町から西峠の方へ急いでもらいたい、馬で飛ばしてみてもらいたいのだが」
「心得ました。して御用向は?」
「どうも、さいぜん送り出した、あの吉田氏と薬屋の者、あれがどうも気がかりじゃ、たしかまだ西峠へかかるまい、せめて、あの原を越えるまで、御両所でお送りが願いたい」
「心得ました」
「いや、まだ、お待ち下さい」
 丹後守は、急いで立とうとする青年を再び呼びとめて、
「少々お待ちなさい、貴殿は鉄砲が打てましたな」
「はい、少しは」
「どうか、これを持参して下さい」
 丹後守は戸棚の中から桐の箱を取り出して、打懸《うちか》けた紐《ひも》をとくと、手に取り上げたのは一挺の拳銃《ピストル》であります。
 この時分、拳銃はあまり見たことがないのであります。しかも今、丹後守が取り上げた拳銃は、全く類の見えなかった洋式のものであります。内山は、先生が妙なものを持っていると怪訝《けげん》な面《かお》に、その拳銃を見つめます。内山が不思議がるのもその道理で、これは「引落し式」と名づけられた前装の六連発であります。これと同じ品が嘉永六年、ペルリ来朝の時、武具|奉行《ぶぎょう》の細倉謙左衛門に贈られたことがある。鉄砲がはじめて日本へ来たのは、天文十二年(或いはその以前)ということであるが、拳銃が日本へ来たのは、この時がその最初でありました。
 今、丹後守が取り出したのは、まさにそれと同じ型のものであります。
 どうして丹後守が、そんなものをいつのまに手に入れたか、それさえ不思議でありましたが、丹後守という人は、春日《かすが》の太占《ふとまに》を調べるかたわらには阿蘭陀《オランダ》の本を読み、いま易筮《えきぜい》を終って次に舶来《はくらい》の拳銃を取り出すという人であります。
 それで、右の拳銃を右手に取り上げて眼先へ伸ばし、
「内山殿、その簾《すだれ》を捲き上げていただきたい」
「心得ました」
 簾を上げると庭である。
「あの植木鉢をひとつ、打ってみましょう」
 花壇の隅に伏せられた素焼《すやき》の植木鉢に覘《ねら》いをつけたのでありましたが、轟然《ごうぜん》たる響きと共に鉢は粉《こ》に砕けます。
「いざ、これを持っておいで下さい」
 内山は、呆気《あっけ》にとられながら、丹後守の渡す拳銃を受取って見ると、筒先は六弁に開いて、蓮《はす》の実《み》のように六つの穴があります。
「その一発はいま撃ってしまいました、あとの五発、続けざまに撃てるようになっている」
「はあ」
 内山は、それを調べて二三度、構えてみましたが、
「しからば――」
と言って立つと、
「あの、まだ奥に文四郎流の火縄《ひなわ》があります、高江殿にはあれを持っておいでなさるように」
「心得ました」
 なんにしても大業《おおぎょう》なこと、わずか二三の人を送るに駿馬《しゅんめ》に乗り、飛び道具を用意するとは。

 かの足の早い旅人は、西峠を越えて来る机竜之助の馬を避けて通す途端《とたん》に馬上の人を見上げたのであります。
 竜之助も、ふいと笠越しに見下ろすと、
「や!」
 旅の人は、覚えず足を踏みしめたようでしたが、竜之助は別になんとも思わず、そのまま馬を進めようとすると、
「モシ、お武家様」
 旅の人は、引き戻すように手をあげて呼び止めます。
「何御用か」
「あなた様は、もしや――武州沢井の若先生ではござりませぬか」
「ナニ、沢井の――」
 竜之助はこの時、馬をとどめさせて、この旅の人を見据えて見ると、年の頃は五十に近かろう、百姓|体《てい》の男で、どうも見たような男ではあるが、急には思い出せない。
 右の男は、被《かぶ》っていた笠の紐を解きかけながら、
「間違いましたら御免下さいまし、あなた様は沢井の机弾正様の若先生、あの竜之助様ではございませぬかな」
 不思議な旅の男の言い分を、じっと聞いて、
「いかにも――拙者はその机竜之助」
 これを聞いて旅の男は、
「左様でございましたか、それで安心致しました。私共、あの青梅在、裏宿の七兵衛と申す百姓でございます」
「青梅の――七兵衛?」
 万年橋の上で、抜打ちにその腰を斬って逃げられたことがある。その盗賊がこの七兵衛であることは、斬られた七兵衛はよく知っているが、斬った竜之助はそれを知らない。
「どこへ行くのだ」
「いや、どこへでもございませぬ、あなた様をたずねて、これへ参りました」
「ナニ、拙者をたずねて?」
「はい」
「拙者に何の用」
「その御用と申しますのは、あなた様のお生命《いのち》を……」
「生命を……」
 ここに至って竜之助は冷笑した。
「お驚きでもございましょうが、あなた様のお生命が欲しいばかりにこの年月、苦労を致している者があるのでござりまする。四年以前に御岳の山で、あなた様のために非業《ひごう》の最期《さいご》をお遂げなされし宇津木文之丞様の恨みをお忘れはござりますまい」
「文之丞の恨み……」
「その恨みを晴らさんがため、文之丞様の弟御の兵馬様、あなたを覘うて、この大和の国におりまする。ここで私共があなた様をお見かけ申したが運のつき、どうか、兵馬様と尋常の勝負をなすって上げてくださいまし、お願いでございます」
「尋常の勝負?」
 竜之助は苦笑《にがわら》いして、
「その兵馬とやらはいくつになる」
「ことし十七でございます」
「勝負はいつでも辞退はせぬ故、まず当分は腕を磨くがよかろうとそう申してくれ」
 十七の小腕《こうで》を以て、我に尋常の勝負を望むとは殊勝《しゅしょう》に似て小癪《こしゃく》である。
「いやいや、勝負は時の運と申します。兵馬様とて、まんざらの腕に覚えがなければ、敵呼《かたきよ》ばわりは致しますまい」
 七兵衛は笠をとりながら、
「兵馬様は、ただいま八木の宿《しゅく》におられまする、これより八木の宿までは八里もござりましょう、私は一時《いっとき》が間に、そこまで御注進《ごちゅうしん》に上りまするほどに、あなた様にも武士の道を御存じならば、それまでこれにお控え願いたい。引返してお立合い下さるならば、八木、桜井、初瀬の河原、あのあたりで程よき場所を定めて、晴れの勝負を願いたいものでございます」
 七兵衛はジリジリと押しつめるように竜之助に返答を促《うなが》したが、竜之助は取合わず、
「勝手にせよ」
 腮《あご》で馬子に差図《さしず》して静かに馬を打たせようとする。
「お逃げなさるは卑怯《ひきょう》ではござりませぬか」
 七兵衛がやや冷笑を含んで言い放つと、竜之助は、
「机竜之助は逃げも隠れもせぬ、これより伊勢路へ出て、東海道を下る。宇津木兵馬とやらにそう申せ、敵《かたき》に会いたくば、あとを慕うて東海道を下って参るように。追いついたところでいつなりとも望みのままの勝負」
 七兵衛がなお何をか言わんとする時、林の中のどこからともなく轟然《ごうぜん》と鉄砲の音! つづいて、人の絶叫!
 竜之助は七兵衛を捨てて無二無三に馬を前へ走らせた。

 薬屋源太郎だけ、ただ一人、道の真中に打倒れている。
 その乗った馬は向うの樹の根に身震いして立っているが、馬子の姿は見えない。
 お豊に至っては、馬も馬子ももろともに、どこへ行ったか見えないのである。
 竜之助は馬から飛び下りて、源太郎を抱き上げた。
 弾丸《たま》は股《もも》を貫《つらぬ》いたらしく、大した傷ではないけれども、驚きのあまりに気絶している。
「源太郎どの、源太郎どの」
 呼び生かすと、
「むむ」
「気を確かに、傷は浅い」
「ああ……吉田様、早く、お豊を早く……」
 源太郎は気がつくと直ぐに、手を上げて藪《やぶ》の彼方《あなた》を指すのであった。思い設《もう》けぬ不覚である。道中かかることの万一にもと、丹後守が心添えして附けられたものを、まだその国許《くにもと》を離れない先にこの有様では、なんと申しわけが立つ。人に申しわけではない、大切の守り人を眼前に奪われて、武術の冥利《みょうり》がどこにある。
 そればかりではない、お豊は奪われてならない人である――物に冷やかな竜之助も歯を噛《か》んで憤《いきどお》った。
「源太郎どの、賊は幾人ほどじゃ、何か見覚えはないか」
「たしか二人――わたしを撃っておいて、お豊を引捉《ひっとら》えて、馬に載せて、あちらへ、あちらへ」
 源太郎の介抱《かいほう》を馬子に任せておいて、竜之助は立って前後を見る。乗って来た馬は駄馬である、所詮《しょせん》敵を追うべき物の用には立たぬ。
 少し北へ寄った原中に、一つの小高い塚、その上には大きな松が聳《そび》えている。
 すすきの茂る小野の榛原《はいばら》。竜之助はともかくもその塚までかけつけて、眼の届く限りを見渡す。ただ茫々《ぼうぼう》たる原野につづく密々たる深林と、遠くは峨々《がが》たる山ばかり、人の気配《けはい》は更にない。
「ああ……」
 溜息《ためいき》をつくと共に冷然たる己《おの》れに返った。いくら尋ねても無駄! 案内知った者ならば、この野原をいずれの方角へでも逃げられる、逃げて窮すれば、山の中に入る、山でいけなければ、谷へ隠れる――不知案内の自分が、いくら追うたとて所詮《しょせん》無益である。
 竜之助には、咄嗟《とっさ》の間《ま》にも利と不利とを判断する冷静があった。

         十四

 奈良の春日神社の前。
 宇津木兵馬は茶屋へ腰をかけ笠の紐をとく。
「ええ、毎年五月には子を産みまする、これはついこのあいだ生れたばかりでございます。エエ、もう人間と同じこと、この鹿は一頭で一つしか子は産みませぬ、生れると、煙草一ぷくの間に、もうひょこひょこと歩き出しますでございます。紅葉ふみわけ啼《な》く鹿と申しましても、秋は子を生む時ではございませんで、妻恋う鹿と申しまして、つまり夫婦和合の時でございますな」
 茶店の主人は鹿の話からはじめて、
「左様でございましたか。春日様は藤原家の氏神《うじがみ》でござりますが、もとは鹿島《かしま》の神様のおうつしでございますから、やはり、お武家様方の守り神でござります、春日四所大神と申しまして、その第一殿が常州鹿島の明神、第二殿が下総香取《しもうさかとり》の明神と申すことでござりまする」
 案内をかねて、よく故事を教えてくれる。
 兵馬は、ここでちょっと聞いてみたくなったことは、この奈良の土地から起った宝蔵院流の槍の道場の跡が、まだこの地に残っているとのことであるが、それが今どうなっているかということでした。
「えええ
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