いばら》から一里十七町、三輪、桜井、八木へ出て南へ下る」
 里数を、あれからこれと数え立てられて一座の浪士は烟《けむ》に捲かれる。
「さあ、おのおの方、ここへ来て、地図をごらんなされ、那須氏には、ようこの道を御存じのはずじゃ、十津川《とつがわ》入《い》りには、いずれの道をとったがよいか」
「左様、十津川入りには……」
 いちばん先へ喧嘩に出たのが、畳の上に拡げた絵図面の方へ首を持って来て、
「初瀬から八木へかかるが道はようござるが、近頃は……」
「松山へ出た方が近うござるか」
「左様――」
 どうやら、この絵図一枚で喧嘩が納まりそうである。
 この左の眼のつぶれた人は、十津川天誅組《とつがわてんちゅうぐみ》の巨魁《きょかい》松本|奎堂《けいどう》であったことが後に知れる。

         二十

 お豊は、我を忘れて欄干《てすり》の上から下の往来を見下ろした時に、薬屋の前を総勢十人ほどの旅の武士が隊を成して通り過ぐるのを認めました。
「ああ、あの方はたしかに……」
 笠を深く被《かぶ》ってはいたけれど、お豊はその旅の武士の一隊の中に、竜之助のあることをたしかに認めたのであります。
 お豊は周章《あわて》て梯子段《はしごだん》を下り尽したけれども、かの十人ほどの武士の一隊のうちの一人も、店へ入って来た人影はありませんでした。店先に打ち水の空手桶をさげてぼんやり立っているのは女中一人。
「お光さん、今こちらへ、お客様がお見えになりましたでしょう」
「いいえ」
「それでは、ここを十人ばかりのお武家様がお通りになったでしょう」
「あ、お通りになりました」
「そして……どちらへお越しになりました」
「鳥居のわきを南の方へおいでになりました」
「まあ、そうでしたか。それでは違ったか知ら」
 お豊はそれから、もしやと植田丹後守の邸の前まで行ってみました。
 しかし、邸はいつもの通り穏かなもので、下男の久助が打ち水をしている。
「久助さん、久助さん」
「おや、お豊さんか」
「あの、ただいまお邸へお客様がありましたか」
「いや、さっき郡山《こおりやま》からのお使が一人見えたっきり、正午前《おひるまえ》のうちは武者修行が三人ほどおいでになりましたが、直ぐお帰りでした」
「ああ、そうでございましたか。あの、たったいま十人ほどのお武家が、こちらへお通りになりましたから、もしやお邸のお客
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