》に下石《おろし》というのがある、これに宝蔵院流正統が伝わっているという話じゃ、愚僧《わし》は詳しいことは知らぬ、それにまた、術の妙を得た人には、この近いところ――」
坊さんは顋《あご》で、南の方をしゃくって、
「三輪大明神の社家《しゃけ》に、植田丹後守というのがござる、これが当流の槍をなかなかよく使うそうじゃが、これもいっこう噂《うわさ》ばかりで、誰もその実際を見たものはないと申すことじゃ」
「何と申されました、三輪大明神の社家で、植田丹後守殿?」
「左様、植田丹後守。なかなか学問もある。武芸修行ならば、ひとたびは訪ねてみて御覧《ごろう》じろ」
十五
宇津木兵馬が植田丹後守をたずねた時、植田の邸は何か非常に取込んでいるようでしたが、それでも丹後守は兵馬の訪問を拒《こば》まずに座に通して、武術の話をしました。
「お若いに近ごろ殊勝《しゅしょう》でござる。して、剣道の御流儀は何をお究《きわ》めなされましたな」
「幼少の頃、甲源一刀流を少しばかり。数年以前より直心陰《じきしんかげ》の流れを汲みまして、未熟者《みじゅくもの》相当の修行中でござりまする」
「ナニ、甲源一刀流?」
「兄なる人につきまして、その手ほどきを受け、それより江戸に罷《まか》り出《い》でて直心陰の門末に列《つらな》りました」
「直心陰は至極《しごく》の流儀じゃ。して、御身の師とお頼みなされしは何と申される御仁《ごじん》か」
「下谷の御徒町《おかちまち》にて、島田虎之助と申しまする」
「ほう、島田虎之助――」
丹後守は何か思う仔細《しさい》のありげに、
「その島田虎之助殿は、もと豊前《ぶぜん》中津の藩中でござろうがな」
「いかにも、仰せの通り」
「号を見山《けんざん》と申される」
「左様にござりまする」
「そのお人ならば、拙者も近づきがある」
「それは意外に存じまする、いずれにてお近づきでござりましたか」
「ずっと以前、もはや二十年も昔のこと、拙者のこの道場に暫く足を留めておられたことがある」
「それは、不思議の因縁にござりまする」
「拙者が、今までに拝見致した剣術では、江戸で男谷《おとこや》下総守、筑後|柳川《やながわ》の大石進、それからただいま申す島田虎之助殿、この三人が至極とお見受け申した。もっとも近ごろは、江戸に有名な達人が多くおられるそうな。拙者もかれこれ十何年あちら
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