えた惣太とは違います。惣太は飲んだくれであったけれど、これほどの悪い度胸はない。
 これは針《はり》ヶ別所《べっしょ》というところに住んでいて、表面は猟師、内実は追剥《おいはぎ》を働いていた「鍛冶倉《かじくら》」という綽名《あだな》の悪党であります。
 金蔵が、この鍛冶倉の乾分《こぶん》となったのにも相当の筋道《すじみち》があるけれどそれは省く。

「お豊、いいあんばいに、お天気じゃ、今夜は内牧《うちまき》泊《どま》りとして、それまでに夕立でも出なければ何よりじゃ。おお、吉田様が見えない、どうなさった」
 薬屋源太郎は、あとをふり返って囁《ささや》くと、お豊は、
「どうなさいましたでしょう」
「馬の草鞋《わらじ》でも解けたのであろう。馬子《まご》さん、少し静かに歩かせておくれ」
 馬を静かに歩かせて、
「あのお武家は、えらく武芸がお出来なさるとお陣屋の先生が賞《ほ》めていました」
「そうでございます、お陣屋へ修行者が参りましても、手に立つ者はなかったと、皆のお方も申しておりました」
「けれども、口を利きなさるのが、なんだかサッパリし過ぎて、そのくせ、いつでも沈んで、なんだか気味の悪いような、逞《たくま》しいような、妙に気の置けるお方じゃ」
「それも、お家にお子供さんがいらっしゃるし、奥様もおなくなりなすったそうですから、それやこれやの御心配からでござりましょう」
「そんなことかも知れぬ。しかしまあ道中も、あのお方がおいでなさるので安心じゃ。時にあの馬鹿者の金蔵……ああいう執拗《しつこ》い奴もないものだが、あんなのがゆくゆくは胡麻《ごま》の蠅《はい》、追剥、盗人、そんなことに落ちるのだ、心柄《こころがら》とはいえ、気の毒なものだ」
 お豊はなんとも言わないで、また後ろをふり返ったが、竜之助の姿はまだ見えない。

「叱《し》ッ――まだまだ」
 林の茂みに覘《ねら》いをつけていた金蔵は、このとき赫《かっ》としてあわや火蓋《ひぶた》を切ろうとしたのを、あわてて、傍に見ていた鍛冶倉《かじくら》が押えたのは、時機まだ早しと見たのであろう。

 この日の朝、三輪の里なる植田丹後守は、しきりに胸《むな》さわぎがします。
 丹後守という人は妙な人で、時々前以て物を言い当てることがあります。
「お前の家へ昨夜、子供が産まれはせぬか」
 ある時、或る家の前へ立ってこう言うた時、その家の主
前へ 次へ
全58ページ中25ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
中里 介山 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング