御陣屋の居候《いそうろう》じゃ、それとお前は、ここで出会うて不義をしていたな」
「まあ――何を」
「そうじゃ、そうじゃ、それに違いない、お前は浪人者と不義をして神杉を汚《けが》したと、わたしはこれから触れて歩く」
金蔵はわざと大きな声で呼び立てます。お豊は力いっぱい振り切って逃げ出すと、追いかけもしないで金蔵は、
「覚えていろ」
九
「お豊や」
伯父に当る薬屋源太郎は、お豊を自分の前へ呼び寄せて、
「困ったことが出来たで。お前も承知だろう、あの藍玉屋の金蔵という遊蕩息子《どうらくむすこ》じゃ」
「はい」
金蔵に弱らせられているのは、お豊ばかりではなく、伯父夫婦も、あの執念深《しゅうねんぶか》い馬鹿息子には困り切っているのであります。
「このごろは、まるで気狂いの沙汰じゃ、なんでもひどくわしを恨んで、ここの家へ火をつけるとか言うているそうじゃ」
「まあ、火をつける――どうも伯父様、わたしゆえに重ね重ね御心配をかけまして、なんとも申し上げようがござりませぬ」
「ナニ、心配することはない、たかの知れた馬鹿息子の言い草じゃ。しかし、ああいうやつが逆上《のぼせあが》ると、どういうことをしでかすまいものでもない、まあ用心に如《し》くはなしと思うて、わしはよいことを考えた」
「はい」
「それはな、しばらくお前をここの家から離しておくのじゃ。というて滅多《めった》なところへは預けられないから、わしもいろいろ考えた上に、とうとう考え当てたよ」
「伯父様、わたしは、もうこのうえ他所《よそ》へ行きとうござりませぬ、わたしのようなものはいっそ、ここで死んでしまった方が、身のためでございます、皆様のおためでございます」
お豊が死にたいというのは口先ばかりではないのです。死ねば、親にも親戚にも、この上の恥と迷惑をかけねばならぬことを思えばこそ味気《あじき》なく生きながらえているので、ほんとうに自分も死んだ方がよし、人のためにもなるであろうと、いつでも覚悟は出来ているくらいなのですが、伯父は、そんなには見ていないので、
「いや、お前などは、まだこれからが花じゃ。ナニ、お前の前だが、若いうちの失敗《しくじり》は誰もあることじゃ、そのうちには自分も忘れ、世間も忘れる、その頃合《ころあ》いを見計らって、わしはお前をつれて亀山へ行き、詫《わ》び言《ごと》をして、めでたく元へ
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