得た剣道の精妙が、成敗をよそに見て、志士の仮面をかぶった無頼漢退治《ぶらいかんたいじ》に当ろうというのであります。
 おりから関東武士の面目というものは、旗本の間にはなく、譜代大名の中にもなく、辛《かろ》うじて彼ら田舎武士《いなかざむらい》の間に残って、そして潮《うしお》の湧くような意気組みの西国武士に当ることになったのです。
 机竜之助の如きは、勤王家でもなし、佐幕党でもない、近藤、土方のような壮快な意気組みがあってでもない……大津を立って比叡颪《ひえいおろし》が軽く面《かお》を撫でる時、竜之助は、旅の憂《う》さをすっかり忘れて小気味よく、そして腰なる武蔵太郎がおのずから鞘走《さやばし》る心地がして、追分へかかろうとする時、ふいに後ろから呼び止める声がする。
「それへおいでの御仁《ごじん》、暫らく」
 顧みれば、筋骨|逞《たくま》しい武士が一人、静々と歩んで来る。ほかに人もないから、呼び留めたのは自分のことであろう。
「お一人旅とお見受け申す」
 黒の着物に小倉の袴で、高足駄《たかあしだ》を穿き、鉄扇を持った壮士。小刀の短いわりに、刀は四尺もあらんと思われる大きなのを横に差し、頭の頂辺《てっぺん》から竜之助を見下ろして進んで来たので、
「いかにも一人旅」
 竜之助も、それを睨《にら》み返すような気持で、例の無愛想な返事です。
「拙者も一人旅、御同行ねがいたい」
「いずれへおいであるな」
「京都まで」
「いかさま」
「柳緑花紅《やなぎはみどりはなはくれない》」の札の辻を、逢坂山《おうさかやま》をあとにして、きわめて人通りの乏しい追分の道を、これだけの挨拶で、両人は口を結んだまま、竜之助の方が一足先で、高屐《こうげき》の武士はややあとから、進み行くこと数町。
 竜之助は、旅に出ても、こちらから人に話しかけたこともないし、同行を求めたこともない。わざわざ後ろから、我を見かけて呼び止めて同行を求めたこの武士にはどうも油断がならなかった。
 自ら経験のあるものでなければわからない。竜之助の如き者から見れば直ぐ知れることだが、この武士は、好意で自分の道連れになったものでない、手っ取り早く言えば、自分を斬りに来たものである――近寄る時に、その人の心持次第で和気も受ければ殺気も受ける。
「いずれからおいででござるな」
 壮士は問いかけた。
「関東より」
「関東……関東はいずれの御藩でござるな」
「浪人者でござる」
「して、いずれの藩の御浪人」
「生れついての浪人でござる」
「生れついての浪人――」
 壮士は、鼻の先に少しく冷笑を浮べて、
「武芸修行でござるかの」
「左様でござる」
「武芸は剣道か、槍術《そうじゅつ》か……ただしは」
「剣道でござる」
「剣道は何の流儀を究《きわ》めなさるな」
 壮士は突込んで竜之助に問いかけるので、竜之助はこれをうるさがります。
「貴殿の御流儀から承わりたい」
「いかにも。拙者はまず自源流を学び申した」
「自源流?」
「関東にはお聞き及びもござるまいが、薩州伊王ヶ滝の自源坊より瀬戸口|備前守《びぜんのかみ》が精妙を伝えし誉れの太刀筋《たちすじ》」
「いや、かねてより承知してござる」
 剣道の話のみは、竜之助の気をそそる唯一《ゆいつ》のものです。
「して、貴殿は鹿児島の御藩でござるか」
「いかにも。以前は島津の家中、今は天下の素浪人《すろうにん》」
「左様でこざるか。薩州は聞ゆる武勇の国、高名のお話なども多いことでござろう」
「薩摩武士《さつまぶし》の高名が知りたくば――」
 ハッと思うまに、密着《くっつ》いていた二人の身《からだ》が枯野の中に横へ飛び退《の》いて、離るることまさに三間です。

         四

 飛び退いた時に、双方ともに刀の柄《つか》に手がかかって、そして何も言わず、睨み合いです。刀は共に未《いま》だ抜かず。竜之助は、この大胆なる壮士の挙動をものものしと思った。この俺を、大菩薩の頂《いただき》で老巡礼に遭《あ》わせたと同じ運命に逢わそうとは片腹痛い。
 蒼白い皮膚の色に真珠のような光を見せて、切れの長い眼は、すーっと一文字に冴《さ》える。人を斬らんずる時の竜之助の表情はいつもこれです。
「薩州|鍛冶《かじ》の焼刃《やきば》をお目にかけようか」
 壮士は、大の眼で竜之助を睨めながら、かの四尺もあらん刀の柄を丁《ちょう》と打つ。
「篤《とく》と拝見致そう」
 まだ双方ともに抜かなかった。
「待て、待て、ちと歯ごたえのある勝負がしてみたいわ」
 かの壮士は竜之助の気勢を見てかえって喜んだ。腕に覚えがあればこそ、刀の抜きばえのある相手と見込んだものでしょう。
「ゆっくりと果《はた》し合《あ》い――それは至極《しごく》面白そうだ」
 竜之助は、微笑を以て言下に果し合いの申込みを引受けて、その微笑
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