味が悪い」
平間は非常に苦しそうな息をついて、
「俺は腹を切る、友達甲斐《ともだちがい》に介錯《かいしゃく》を頼む」
「ナニ、腹を切る?」
「うむ、腹を切る」
「よし、切るだけのことがあれば切れ、介錯もしてやろう、だがその仔細《しさい》がわからぬ、それを聞いた上で」
「まず、一通り聞いてくれ」
「聞くとも」
「昨夜、井上と碁を打った」
「うむ」
「夜明けまで打って、それから今のさきまで寝た」
「うむ」
「起きて見ると、金がない」
「金が――盗まれたか」
「碁を打つ前にかぞえて納めた小箪笥《こだんす》の中、三百両の不足じゃ」
「怪《け》しからん、詮議《せんぎ》をしたか」
「さあ、その詮議がむつかしい。あれからこの室にいたは拙者と井上、これを騒ぎ出せば井上が承知すまい」
「うむ、もとより井上は盗みをするような男でない」
「で、ほかならぬ新撰組へ盗賊が入ったとあっては、一統の恥」
「そう言えば、そうじゃ」
「そこで、拙者一人が罪を被《き》る」
「うむ」
「島原通いの金に困って、預かりの金を費《つか》い果した、その申しわけに腹を切る――隊中へはそのように披露《ひろう》する」
「なるほど――」
山崎は深く考え込んでしまった。
「待て、俺に少し考えがある」
この時に、山崎の頭にポーッと現われたのは、昨夜、一ぜん飯屋で飲み合った関東の者という不思議な旅人。向うでも変だと思ったらしいが、こちらでも解《げ》せないと思って別れた――平間と山崎とは友人で、山崎は、常にさまざまに変装をして、諸国浪士の動静をさぐるに妙を得ている。
十一
その翌朝になって、七兵衛はちょっとした羽織を引っかけて草履穿《ぞうりば》きで、小風呂敷を腋《わき》にかかえて、島原へやって来ました。大門《おおもん》を入って、道筋《どうすじ》を左に曲ろうとすると、ふいと向うからやって来て、おたがいに面《かお》を見合せたのは、昨夜、一ぜん飯屋で杯を取交《とりかわ》した小間物屋です。
「気味の悪い奴が来たな」
七兵衛は、なんとなく気が置けて、面を外《そ》らして通り過ぎ、木津屋の前に立って見ると、つい先の路地にかの小間物屋は、さあらぬ体《てい》でこちらを窺《うかが》っています。
よって七兵衛は、わざとそこを通り過ごして、揚屋町の方へ曲ろうとすると、件《くだん》の小間物屋がソロソロと引返して、どうやら自分のあとをついて来る様子です。
七兵衛は、揚屋町をグルリと廻って、また道筋へ出る。と見れば右の小間物屋は、やっぱり後をついて来る。やむを得ず七兵衛は、用もありもしない下《しも》の町《ちょう》へ出て、ぶらりぶらりと軒並《のきなみ》の掛行燈《かけあんどん》などを見て行く、一廻りして中堂寺町へ出て、後ろを見ると小間物屋の姿は見えない。
占めた、七兵衛は喜んで、三たび道筋へ出ると煙草屋がある。煙草を買って行こうとその店へ面を突っ込んで見ると、そこの店先に腰をかけてプカリプカリ煙草をふかしているのが右の小間物屋です。七兵衛も、いよいよ気味が悪くなった。知らん面で、煙草を買って詰め替えて、店を出ると、右の小間物屋も、ソロソロとあとをつけます。
これはいけない、出直そう。
七兵衛は、また大門を引返して、丹波口から東をさして出ると、小間物屋もやって来る。
七兵衛は尻《しり》を端折《はしょ》った。そうして、すっと、歩き出した。今まで廓《くるわ》の中をブラリブラリと歩いていたのとは足並《あしなみ》が違う。
小間物屋は、急ぎ足で追いかけた。
七条通りまでは追いかけたが、そこでふっつり[#「ふっつり」に傍点]見失った。小間物屋は歯噛《はが》みをした。
引返した小間物屋は、また島原の廓《くるわ》の中へ身を現わします。
逃がしたのは残念だが、見当《けんとう》のついたのは喜ばしい。
山崎譲は、何か独《ひと》り合点《がてん》をしながら木津屋の暖簾《のれん》の前へ来てみる。
ここの御雪太夫と近藤勇との仲は山崎もよく知っている。何か思いついて、
「こんにちは、御免下さいまし」
「あい」
嬉しそうに駈け出して来て、小間物屋の姿を見て、急に気落ちがしたように、
「何御用」
といったのはお松です。
「小間物屋でございます」
「小間物屋さん? 少しお待ちなさい」
と言って引込んだお松の後ろを山崎は見送っている。
お松は七兵衛の来るのを待ちに待っているけれども、七兵衛は影を見せない。
出口の柳まで、日に幾度《いくたび》も出て見た。家の前でする足音は、みな、七兵衛ではないかと思って駈け出して見たけれども、あれも、これも、その人ではなかった。
今夜寝て起きれば、明日は三日目。明日こそお松は、ここをつれられて帰る約束の日……いろいろと想像してその夜は眠れずに待っている。
もう丑《
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