な想像が全く破れる。涙ながらに「日本色里の総本家」という昔の誇りを弔《とむろ》うて、「中《なか》の町《ちょう》」「中堂寺《ちゅうどうじ》」「太夫町《たゆうまち》」「揚屋町《あげやまち》」「下《しも》の町《ちょう》」など、一通りその隅々まで見て歩くのはまだ優しい人で、「ナンダつまらない」その名前倒れを露出《むきだし》にしながら、とにかくここで第一の旧家といわれる角屋《すみや》の前に足をとどめてみても、御多分《ごたぶん》に洩れぬ古くて汚ない構えである。侮《あなど》り切っていきなり玄関から応接を頼むと、東京では成島柳北《なるしまりゅうほく》時代に現われた柳橋《やなぎばし》の年増芸者《としまげいしゃ》のようなのが出て来て、「御紹介のないお客さまは」と、極《きわ》めてしとやかに御辞退を申し上げる。
これは、物に慣れない遊子に対する特殊の待遇ではなく、もし血気に逸《はや》る半可通《はんかつう》が新式の自動車を駆《か》り催して正面から乗りつけて行っても、「御紹介のないお客様は」の一点張りで、その来る者の、自動車であろうと、金鎖《きんぐさり》であろうと、パナマ帽であろうと更に驚かないのですから、ここにおいて「島原|未《いま》だ侮り易《やす》からず」と最初の独断をやや悔いはじめるものもあるし、頑迷いよいよ度すべからず、これだから「滅びゆく島原」だと匙《さじ》を投げる者もある。
幸いに、許されて中に入ることの光栄を得たものにしてからが、まず何となしにばかばかしくなる。荒削《あらけず》りの巨大な柱が煤《すす》けた下に、大寺院の庫裡《くり》で見るような大きな土竈《へっつい》がある、三世紀以前の竜吐水《りゅうどすい》がある、漬物の桶みたようなのがいくつも転《ころ》がっている。何のことはない、二十代もつづいた大庄屋《おおしょうや》の台所へ来たようなものです。
おまけに、長押《なげし》には槍、棒、薙刀《なぎなた》のような古兵具《ふるつわもの》が楯《たて》を並べ、玄関には三太夫のような刀架《かたなかけ》が残塁《ざんるい》を守って、登楼の客を睥睨《へいげい》しようというものです。
恐る恐る座敷へ通って見ると、京都式の天井は低く、光線のとり具合は極めて悪い。しかしながら、そこにもここにも底光《そこびか》りがある、低くて暗いのは必ずしも浅くて安っぽい意味でない、というような感じも幾分か出て来て、そうしておもむろに間毎《まごと》の襖《ふすま》や天井などについて説明を求めてみると、前の柳北時代の柳橋の老妓のようなのが(多分、仲居《なかい》の功労を経たものであろう)別に誇るような色もなく、新来の田舎客のためによく説明の労をとる。
第一を「御簾《みす》の間《ま》」と言い、第二が「奥御簾の間」、第三が「扇の間」で、畳数二十一畳、天井には四十四枚の扇の絵を散らし、六面の襖の四つは加茂《かも》の葵祭《あおいまつり》を描いた土佐絵。第四「馬の間」の襖は応挙、第五「孔雀《くじゃく》の間」は半峰、第六「八景の間」は島原八景、第七「桜の間」は狩野《かのう》常信の筆、第八「囲《かこい》の間」には几董《きとう》の句がある。第九「青貝の間」は十七畳、第十「檜垣《ひがき》の間」は檜垣の襖、第十一「緞子《どんす》の間」は緞子を張りつめる。第十二「松の間」は、十六畳と二十四畳、三方正面の布袋《ほてい》があって、吊天井《つりてんじょう》で柱がない、岸駒《がんく》の大幅《たいふく》がある。
なお委《くわ》しく聞いてみると、間毎間毎にもいちいち由緒《ゆいしょ》と歴史とがあって、やれ「青貝の間」は螺鈿《らでん》でござるの、「檜垣の間」はこれこれの故事で候《そうろう》の、西郷さんのお遊びの部屋は、いつもこの「松の間」の話の洩れないところにきめてあったの、西郷さんのお相手は小太夫といって、月照《げっしょう》さんと一緒に遊びに来られて、その相方《あいかた》は花桐太夫《はなぎりだゆう》であったなど、和尚もなかなか罪を造ったものだなと思わせる話までも聞かせてくれる。
日本の遊女町というものを、社会史上の一つの現象と見て、この後とうてい復活の望みのない日本色里の総本家の名残《なご》りのために、この島原の如きも、物好きな国粋(?)保存家が出て、右の角屋《すみや》、或いは輪違《わちがい》その他の一部の如きに相当の方法を講じておかないと、やがて社会史の一角に、多少の参考材料を失うかも知れない。それで、右の角屋の如きも二百七十年以前、島原始まって(すなわち寛永十八年、六条から今の地に移った時)以来の建築であって、そのほかにもこれに類するものがあるとしてみれば、時代の家屋の建築上からも一個の参考物であると、或る意味からこれを尊重する気になって、素見《ひやかし》に来た道楽者が思わず知らず社会学者となり考古学者となっ
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