申しましたならそれはそれは怖ろしいことで、御用心なされぬといけませぬ」
「盗賊が――」
「左様でござります、なんにしても乱世でござりますから、盗賊も大袈裟《おおげさ》で、掛矢《かけや》の大槌《おおづち》を以て戸を表から押破って乱入致し、軍用金を出せ、軍用金を出せと嚇《おど》しますとやら」
「うむ」
「そのほか辻斬《つじぎり》は流行《はや》る、女の子は手込《てごめ》にされる、京都《みやこ》へ近いこのあたりでも、ほんとに気が気ではありませぬ」
「うむ」
「あれまあ、人が見えます、駕籠が二挺、あれが昨夜の若夫婦でありましょう。お武家様、ごらんあそばせ、まあ、おかわいそうに」
欄干《てすり》の間から外の方を覗《のぞ》いていた女中の声が慌《あわ》ただしい。
三
今の京都は怖ろしいところ。
それは女中どもに聞くまでもなく、竜之助は好んでそこへ行くのである。いま京都に群がる幾万の武士《さむらい》、それを大別すれば、佐幕と勤王。
徳川を擁護《ようご》するのと、それを倒そうとするのとが、天子|在《おわ》すところで揉《も》み合っている――その間に絡《から》まるのが攘夷《じょうい》。志士を気取って勤王を看板に、悪事を働く厄介者《やっかいもの》。
暗殺が流行《はや》る、おたがいにめぼしい奴を切り倒して勢力を殺《そ》ぐ、京都の町には生首《なまくび》がごろごろ転がっている。新たに守護職を承った会津中将の苦心というものは一通りでない。病躯《びょうく》を起して、この内憂外患の時節に、一方には倒れかけた幕府の威信を保ち、一方には諸国の頑強な溢《あぶ》れ者《もの》を処分してゆく、悪《にく》まれ役《やく》は会津が一身に引受けたのであります。
会津侯の手に属して、これら勤王の志士、多くは西国諸藩の武士に当るべく、かの新徴組が江戸を発したのが文久三年二月八日でありました。
徳川は、全く下り坂で、旗本《はたもと》も腰が抜けてしまった、関東の武士も今は怖るるところはない、ただ新徴組の一手と――それに東北の質樸《しつぼく》な国侍《くにざむらい》に歯ごたえがある。
その新徴組の中で、最も怖れらるる近藤勇、土方歳三らは、もと徳川の譜代《ふだい》でもなんでもない。六十余州の兵に当ると昔から謳《うた》われた東国純粋の風土の鍛錬を生れながらに受けたのみで、持って生れた剛胆の気象と、学び
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