八《ばち》かの初太刀《しょだち》を入れてみる。当れば血を吸い骨を啖《くら》うことを好む刃《やいば》と刃とでは、そうはいかない。
壮士は上段の刀を振りかぶったなりで、頻《しき》りに気合と恫喝とを試みて竜之助の陣形を覗《うかご》うているが、その静かなること林の如く、冷やかなること水の如しです。打ち込んだら、こっちのどこかへ来る。それがどこへ来るか、さっぱり見当《けんとう》がつかぬ、浅く来るか深く来るかさえ見当がわからないのです。
時節がら人の通りが少ないといっても、名にし負う京と大阪とへの追分に近いところ、
「あれ、喧嘩《けんか》があるそうな」
「武家と武家との争闘《いさかい》じゃ」
「おお、抜きましたぜ」
「抜いた、抜いた」
「長い刀やな」
「あれ、危ない」
気の弱いものには、真剣勝負は見ていられない、袖で面《おもて》を蔽《おお》うて急いで通り去るのが尋常の人です。怖いもの見たさの連中のみ遠巻きにして――それとても息を凝《こ》らして、片足は逃げられるように、スワというとき腰を抜かさずに走れるだけの胆力を持ったものに限るのです。
白昼、白刃《しらは》の立合は、おそらく凄いものの頂上でありましょう。月にかがやく刃《やいば》の色、星にきらめく兜《かぶと》の光などは、殺気を包むに充分の景情があります。ここには、人と人との血気、剣と剣との殺気、それが全くむきだしに、青天白日、八百万《やおよろず》の神の照覧ましますところにおいて行わるるのであります。ことに、竜之助を知って、その面《かお》の刻々の変化――変化と見えざる変化を見分ける人があるならば、何者とも知れず、来《きた》って八万四千の毛孔を揺《ゆす》って行くとや疑うであろう。
この立合をながめていたもののなかに、一人の物好きがあります。最初は抜からぬ顔で人の後ろに立っていたが、ジリジリと一足前へ、二足前へ、余の連中が一寸二寸と後ろへさがる間に、この男のみは知らず知らず前へ出て行くので、水が流れて岩がおのずから進むように見えます。
「仲裁無用」かの松の樹の貼札《はりふだ》の下まで来て突っ立って、じっとこの果し合いを見ている。脚絆《きゃはん》足袋《たび》草鞋《わらじ》、菅笠《すげがさ》は背中に、武士ではないがマンザラ町人でもない――手に四尺五寸ほどある樫《かし》で出来た金剛杖《こんごうづえ》まがいのものをついていました。
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