を上げるから喋れるだけ喋ってごらん」
 七兵衛は懐中から取り出した財布《さいふ》をソックリ紙屑買いに手渡しする。
「どうもこりゃ恐れ入りやした。それでは旦那、これから私がその娘さんのいるところへ御案内をしてしまいましょう」
 それで二人が神楽坂《かぐらざか》のところまで来ると、紙屑買いは足が痛い痛いと言い出す。どうやらおれを蒔《ま》く気だなと悟った七兵衛は、わざと油断《ゆだん》をしていると、ふいと路地を切れて姿を隠す。先廻りをした七兵衛、
「おい大将」
 横の方から御膳駕《ごぜんかご》をつく。
「やあ――」
「何がやあだ」
「旦那は足が早い」
「お前さんも早い」
「御冗談《ごじょうだん》を」
「足の痛いのは癒《なお》ったかね」
「また痛み出してきました」
「そんなら今のように駈け出してごらん」
「もう御免《ごめん》です」
「いったい、わしをどこへつれて行きなさる」
「山岡屋のお内儀さんのところへ」
「山岡屋のおかみさんはどこにおいでなさる」
「新宿に」
「それじゃあ方角が違わあ」
「また出直しましょう」
「今度は屑屋さん先へおいで」
 二人はまた歩み出すと、西の空がポーッと赤くなります。
「あれ、あんなに赤く」
「火事だ」
「新宿の方だね」
「でも、風がないから大したことはありますまい」
 言っているうちに火の赤るみはようやく大きくなる。
「たしかに新宿の方角だ、早く行こう」
「足が痛うございます」
 七兵衛は紙屑買いの手を取って引摺《ひきず》る。紙屑買いは苦しがって、
「旦那、そう引張っちゃいけません、お前様の足は早過ぎる」
「グズグズ言わずに早く歩きなさい」
「まあ待って下さい。それじゃあ旦那、私は白状しちまいます。お前様のお尋ねなさるお松さんという娘は、女郎《じょろう》に売られちまったんですよ」
「ナニ、女郎に? どこへ」
「それがお前様……」
「早く言え」
 七兵衛は紙屑買いの手を捻《ね》じ上げると、
「それが遠くで」
「どこだ」
「京都へ売られて行ってます。痛い!」
 紙屑買いの自白するところによると、お滝はあの晩、与八を出し抜いてお松を欺《あざむ》き、急にこの男の家へつれて来たとのこと、そこへつれて来ると共にお松を人買いの手に売り渡したこと、その売渡し先は京都の島原《しまばら》であること、わざわざ京都へ売ったのは江戸では事の発覚を怖れたからで、折よく京都の方から買手が来ていたので話が纏《まと》まったものだということです。この男の言うことがどのくらいまで信用が置けるか知らないが、前後の話の辻褄《つじつま》はよく合うから七兵衛は、
「さあ、お前の家まで行こう」
「旦那、もうどうか御免なすって」
「お滝という女はお前の家にいるんだろう」
「いいえ、どう致しまして」
「お滝とお前と共謀《ぐる》になってお松を誘拐《かどわか》して売ったに違いない」
「ナニ、そんなことはございません」
「ともかく急げ」
 ちょうどこの時、町の角に自身番があったのを紙屑買いが見かけて、突然に大きな声、
「泥棒!」
「ナニ!」
 七兵衛が首筋《くびすじ》を締め上げると、紙屑買いは苦しい声を張り上げて、
「旦那方、こいつは泥棒でござります、泥棒、泥棒」
 自身番に詰めていたもの、今の火事騒ぎで通りかかったもの、こちらへ飛んで来るから七兵衛は、紙屑買いを突き放して人混《ひとご》みの中へ姿を隠してしまいます。

 お松がはたして京都へ売られたものならば、七兵衛の足は直ぐに京都へ飛ぶであろう、七兵衛がその気で歩き出した時は、朝江戸を出て、その夜は京都の土を踏むことであろう。
 それとは関係なく、机竜之介が落ち行く先もまた京都であるとすれば、宇津木兵馬の追って行くところもまた京都でなければならぬ。
 ことに芹沢、近藤、土方ら、新徴組が数を尽して向うところも京都警護の役目である。

         十四

 青梅街道《おうめかいどう》をトボトボと歩いて行くのは与八です。
 背には郁太郎《いくたろう》をおぶって、手には風呂敷包を紐《ひも》で絡《から》げて提げ、足は草鞋《わらじ》を穿《は》いて、歩きながら時々涙をこぼしています。
 与八の身になっても意外のことばかりで、お松をつれてこの街道を帰るつもりであったのが、一夜のうちにこんなことに変ってしまったのです。
「おお、与八じゃねえか」
「ああ太郎作《たろさく》さん」
 畑の中で仕事をしている知合いの百姓。
「江戸から帰ったのかい」
「うん」
「儲《もう》かったかい」
「儲からねえ」
「そりゃどこの子だい、お前の子じゃあるめえ」
「俺の子じゃあねえよ」
「拾いっ子かい」
「拾いっ子だよ」
「ああお土産《みやげ》を持ってるな与八さん、そのお土産をここへ分けて行けよ」
 与八は情けない面をして包みに眼を落しながら、

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