高く最も険《けわ》しきところ、上下八里にまたがる難所がそれです。
標高六千四百尺、昔、貴き聖《ひじり》が、この嶺《みね》の頂《いただき》に立って、東に落つる水も清かれ、西に落つる水も清かれと祈って、菩薩の像を埋《う》めて置いた、それから東に落つる水は多摩川となり、西に流るるは笛吹《ふえふき》川となり、いずれも流れの末永く人を湿《うる》おし田を実《みの》らすと申し伝えられてあります。
江戸を出て、武州八王子の宿《しゅく》から小仏、笹子の険を越えて甲府へ出る、それがいわゆる甲州街道で、一方に新宿の追分《おいわけ》を右にとって往《ゆ》くこと十三里、武州|青梅《おうめ》の宿へ出て、それから山の中を甲斐の石和《いさわ》へ出る、これがいわゆる甲州裏街道(一名は青梅街道)であります。
青梅から十六里、その甲州裏街道第一の難所たる大菩薩峠は、記録によれば、古代に日本武尊《やまとたけるのみこと》、中世に日蓮上人の遊跡《ゆうせき》があり、降《くだ》って慶応の頃、海老蔵《えびぞう》、小団次《こだんじ》などの役者が甲府へ乗り込む時、本街道の郡内《ぐんない》あたりは人気が悪く、ゆすられることを怖《おそ》れ
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