」
高萩と花野と、もひとり月江という女中が都合《つごう》三人で、お松のみどりの部屋へ駈け込んで来て、
「殿様のお召しでござりまする、直ぐにいらっしゃい」
「はい……」
「ただいま百人一首が始まったところ」
「あの、せっかくではございますが気分がすぐれませぬ故」
「気分がお悪いとや。些細《ささい》な不快はあの面白い遊びで癒《なお》ってしまいまする、さあさあ早く」
「それでも、わたくしには歌が取れませぬ」
「なんのまあ、お前様ほどの物識《ものし》りが」
「いいえ、まだ百人一首の取り方も存じませぬ、左様《さよう》なお席へ出ましては、かえって失礼に存じまする故」
女中たちは左右から、みどりの手を取り抱き上げんばかりにして、
「殿様のお言いつけでござりまするぞ、そのような我儘《わがまま》は通りませぬ」
一人が言えば、
「ほんに、みどりさん、お前はいつもいつもこのような折は、不快じゃの不調法《ぶちょうほう》じゃの言いくるめて引込んでばかり。今日は許しませぬ」
花野は躍起《やっき》になって、みどりの手を引張りながら、
「あれ、あのように殿様のお声が聞えまする、早うせぬとあとでどのようなお叱《しか》りに会うことやら」
みどりはどうにも已《や》むを得ません、三人に引きずられるようにして広間へ来て見ると、形《かた》のような有様で。
「やあ、みどり見えたか、芳村殿の右へ坐れ、そちも勝負に加わるのじゃ」
主人はこう命令すると、女中どもはみどりを芳村の隣席へ押据える。
「みどり殿、遠慮してはいけない、さあ、この札をよく見て、それから自分の前へ斯様《かよう》なあんばいに並べてお置きなされ、よいか、あれにて神尾殿が読み上げたなら、遠慮なく拾い取り候《そうら》え」
芳村はそう言いながら札を取って、みどりの前に並べてくれます。
「わたくし、まだ札の取り方も一向《いっこう》に存じませぬ」
「いいや、むつかしいことはない、自分の前だけ守っておれば仔細《しさい》はない、その代り、自分の前を人に拾われたら一大事じゃ」
みどりは百人一首の歌だけは覚えておりますけれど、こんなふうに札の取り合いをしたことがないので、ただもじもじしていると、
「よろしいか、はじめるぞよ」
主膳は咳払《せきばら》いして席を見廻し、
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あらざらむ……
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「しめた!」
芳
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