説を書いたからといって特に目醒《めざま》しい収入というのは無かったのである。
その書き出しの間もない頃に、伊原青々園君の紹介で、或る本屋から一回一円ずつで買いたいがという交渉があったことを覚えている、当時としては一回一円は却々《なかなか》よい相場であったらしい、大抵新聞小説などは赤本式に売り飛ばしてしまったらしい、黒岩涙香氏の如きもその探偵小説の版権は無料で何か情誼のある本屋に呉れてしまったというような有様であった。
併し余は別に考うるところがあったから、興行物も絶対に謝絶し版権も売るようなことをせず、またみだりに出版を焦《あせ》るようなことをしなかった。
そうしているうちに百回前後で一きりに切り上げるのを例とした、最初の時に与八がお浜の遺髪を携えて故郷へ帰るあたりで切った時分には読者から愛惜の声が耳に響くほど聞えたようである、しかし新聞は自分の持ちものではなし、いろいろ後を書く人の兼合も考えなければならないから、或る適度で止めるのが賢こい仕方であったのである、そうしているうちにまた次の小説が出たり引込んだりする合間を見ては続稿の筆を執ったのだが、あんまりすんなりとは行かなかった
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