文字を紙に木版で彫って張りつけたのである、それから出版が本式に玄人《くろうと》の手にかかったのである。
 その発売の時にカフェープランタンでYMDC君が司会者になって出版記念会が開かれた、色々の方面の面振れをYMDC君が集めてくれた、YMDC君はブローカーであり、同時に産婆役のような役目を勤めたのである。
 そのうちに、一時中休みをした都新聞紙上へ松岡俊三君の斡旋でまた書き出したように覚えている、それはもっと前であったか、どうか時と日のところは後から考証して埋め合せる、そのうちに前の赤い裏衿のかかった四六版型ではどうも調子が変だから、これを組み替えてもいいからもっと気の利《き》いたものに改装して出したいという相談の揚句にフト調べて見ると組み版が前に云ったように美濃紙の手引へ四頁組み込んだのが原型になっているから、普通四六版組よりはずっと小さくなっている、そこでそのままそっくり菊半截型《きくはんさいがた》の書物の中に納まるのである、それを発見して神田君がこれは妙々菊半截へおさまるおさまるといってよろこんだ、そこで版をわざわざ組み直さないで、その紙型のままで縮刷本が出来ることになった、最初
前へ 次へ
全86ページ中65ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
中里 介山 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング