骸安置の場所は大菩薩峠の上あたりに越したことはなかろうけれども、あそこまで担ぎ上げるのが難儀とあらばその麓《ふもと》あたりのなるべく人家に遠い処でもよろしい、故郷の地は断じていけない、若し必要があるならば、頭髪でも少し切って故郷には届けてやるがよろしい。

 第十 紀念館の所在地も現在のは全部取りこわし或いは移転してもし小さくとも保存するならば東京附近、明治神宮あたりの地があらば幸、従来の地はそのままにして木を植えて置くこと。

     演劇と我(1)

 妙な廻り合せで余輩は演劇というものに思いの外縁がある、世の中に何が華々しい職業だといって演劇ほどの華々しい仕事はあるまい、ところがこっちは派手を嫌うこと、世間へ面出《かおだ》しをすることを嫌がるに於ては無類の男である、それがつながり連がって行くというのも因縁であろう、さて、この度もまた大菩薩峠の形訳上演ということになった、そこで聊《いささ》か劇に就いての繰り言をこの機会に少々並べて後日の記念に備えて置きたいものだと思う。
 抑《そもそ》も余が演劇に本式に関係を持ち出したのはたしか二十四五歳の時、本郷座の「高野の義人」を紀元として見
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