の親しみも無かったけれどもこれ等の人の作物は皆相当に読ませられ感化も蒙《こうむ》っている、師事したり崇拝したりするという事はないが明治では右等の数名が最も傑出した文学者であると自分は認めている、そう/\徳富蘆花氏には二度ばかりお目にかかったことがある、俳句の方で内藤鳴雪翁は何かの折によく見かけたものだ、俳優で市川団十郎は見たといい切れないほどの印象であることを遺憾とする、先代菊五郎は見なかったが先代左団次は見た、新派では高田実が大いに傑出すると思っている、川上音次郎も見た――筈である。
 落語家で聞いたもののうちでは橘家円喬が断然優れていた。
 浪花節で桃中軒雲右衛門も芸風の大きいことに於てずば抜けていた、剣道で旧幕生残りの人で僅かに心貝忠篤氏の硬骨振りが目に止まっているばかり。画家では芳崖も雅邦も玉章も見知らない、危険人物としては、幸徳秋水と大いに議論をしたことがある、まあそういったようなもので、他にも随分偉い人も多かったけれども親しく見ることの機会も与えられず、また特に何等の縁故もなかった、人を知ることに於ても人に知られる事に於ても不相変《あいかわらず》自分は貧弱極まるものである、
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