を引き揚げてしまった。
後藤新平子を見たのも熱海であった、或晩散歩をしていると、書生に提灯《ちょうちん》を持たせて黒い長いマントを着た長身の男が一人坂の途中に立って海の方を眺めていたが、通りかかってよく見ると、それは新聞の写真顔で見覚えのある後藤――その時は子爵であった、またこの人は東京の帝劇の食堂などでも見かけたことがある、非常な政界の人気男であったが、晩年は振わなかった、しかし余輩ははじめからこの人は余り好きではなかった。
犬養木堂は議会で見ただけであった、右掌を腮《あご》に、臂《ひじ》を卓上に左の手をズボンのかくしに突込んで、瘠《や》せこけたからだに眼を光らせて、馬鹿にしきった形で議会を見おろしていた処がなかなかよかった。
それから全く風采を見ない人であるけれども、同時代在野の政治家として、星亨ほどの人物は無いと思う、しかし余は星が殺された時分には島田三郎の信者であって、島田の攻撃ぶりと伊庭《いば》の非常手段に非常なる共鳴をもっていたので、星の偉さが分ったのはずっと後のこと、実際政党人として一人をもって全藩閥を敵に廻して戦える度胸を備えた大物であったと思わずにはいられない、
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