即ち明治四十三年、余が二十六歳の時に本郷座で「高野の義人」を上演したのである。
三十前の時であったか、熱海の今は無くなっているが、山田屋という宿屋に暫く滞在していたが、その時隣室に八十にもなろうという色の白い小づくりなおじいさんがいて、朝から晩まで殆んど座敷へ籠《こも》りきりで非常におとなしいものであったが、毎朝梯子段をのぼりおりして廊下を渡っては風呂場へ行く、女中などは、あのおじいさんはあのお年で誰も附添というては一人もなく、ああして逗留していなさるが、こちらも心配であります、というようなことを云った、余輩とはよく浴槽の中で一緒になりお互いに丁寧の挨拶をしたものだが、世間話などは少しもしなかった、或時女中にあのおじいさんはおとなしくて朝から晩まで一室に居られるが何をしているのかと訊ねると、何もしないでおとなしくしていられますが、袋の中から将棋の駒を出しては一人で並べて楽しんでいる様ですといった、その後或る機会に女中の持って来た宿帳を見ると右の老人の所に「小野五平」と記してあった、この老人は当時の将棋の名人小野五平翁であったのだ、間もなくこちらが先きであったか先方が先きであったか熱海
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