体早稲田派が宣伝に巧みなのは大隈侯以来の伝統である、朝に失敗した大隈が野に下って、学校を立て言論界へ多くの人材を送った、そこで早稲田には筆の人が多いし、宣伝機関が自由になる、自然人気ものを作るのはお手のものといった景気がある、前の松井須磨子もそうであるし、今の沢正もそれだ、須磨子なども寄ってたかって高い処へ押し上げてしまってそうして梯子《はしご》を引いたような形だから、ああいう運命に落つるのも已《や》むを得ないのであった、今また沢正にも同じ轍《てつ》を踏ませるな、困ったものだと思いながら眺めていたが、然し彼の行動には我輩に対する見せつけとか当てつけとかいうものが絶えず隠然として流れていた、しかし、こっちはもう自分の作物が彼等の人気に関係しさえしなければそれでいいのだから済ましているうちに彼等自身も絶縁はしながらも絶えずこの大菩薩峠には憧《あこが》れをもち、世間もまたいつかそのうちに沢正によっての机竜之助が見られるものだということを期待していた。
 それは大震災前後の事であった、それ以前沢正の傍若無人な人気の増長振りが警視庁あたりでも睨《にら》まれていたようだ、なに警察の干渉などは人気に
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