て貰いたいと寺沢君を通じての申込だ、寺沢も予《かね》てこっちの態度を知っているから「申込んでもそりゃ駄目だ」と断ったが、断られても駄目でも何でもいいから話だけはしてくれろ、斯ういうことで寺沢君から伝達されて来た、その時に余輩はどうしたものか、今までと違ってちょっとそれに耳を傾けたのである。
 一体、沢田君はどういう芸風の人か、今まで何をやったのが出色か、というと松井須磨子のサロメにヨカナンを演《や》ったことがあるというような話だ、それは面白そうだ、ヨカナンをやりこなし得るものが机竜之助を演ったらおもしろいに相違ない、兎に角一度会って見よう、ということになって、寺沢の紹介でたしか日比谷の松本楼で初会見をし、食事を共にした後に帝劇を三人で見物した、それが最初の縁であった。
 だが、その時は劇上演のことには話は進行しなかったのである、とにかく、尚また沢田君の持つ芸の本質を眼のあたり見せて貰わなければならぬ、自分が見に行きたいがその暇がない、また同君も東京へ来て演る機会は少ない、丁度名古屋まで来て、そこで中村吉蔵君の井伊大老を演るという機会があったから、そこで寺沢君に我輩の代理として沢田君の芸
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