ない、いや、それは何とでも、若《も》し貴君の方から云い難《に》くければこちらから言葉を尽して掛合ってもよろしい、というようなわけで、到頭我輩も松岡君の意気に動かされて、では小生からも一つ福日へ申訳をして見ようということになった、そこで福日でも原田君が他の新聞なら兎に角最初の発祥地である都新聞からの希望では已《や》むを得ないというようなことで、福日も存外分ってくれて話が纏《まとま》って、それからまた社外にあって都新聞の為に書き出すことになった。
 それは今の何の巻のどの辺からであったか記憶しないが、相当に続けて行く、松岡君も自分の責任上福日と同一条件で無限に続けてもよろしい、という意気組であったのだが、扨《さ》て進んで行くうちに社中でまた問題が起ったらしい、原稿料が高いとか安いとかいうこともあったろうし、また、無限に続くというようなものを背負い込んでも仕方がないではないかというような苦情もあったろうし、また内容その他に就いても随分批難か中傷かも出て来たらしい、余輩は出社しないからその辺の空気には直接触れなかったが、かなり社中の荷厄介にはなっていたらしく、さりとて松岡君は面目としてどうも社中の空気が困るから見合せてくれとは云ってこられなかろうと思われる、そこは我輩もよき汐合《しおあい》を見てと思っているうち新聞の方でとうとう堪え切れず、編輯氏の山本移山君が直接に余輩の処へやって来た、山本君は我々や松岡君より先輩で今も都新聞の編輯総長として重きをなしている人だが、同氏も何か堪え切れないものがあったと見えて、当時余輩は早稲田鶴巻町の瑞穂館という下宿屋(これは小生が買い受けて普請をして親戚に貸して置いたもの)の隅っこにいたのであるが、そこへ山本移山君がやって来て、どうか一つ止めて貰いたいという膝詰談判だ。
 そこで余輩は云った、それは松岡君との約束もあるが、小生はそんな約束を楯にとって、ゴテようとは思わないが、何しろプツリと切ることは読んでいてくれる人の為に不忠実である、何でもたしか年の暮まで僅かの一月以内かの日数であったと思うが、ではそれまで書きましょう、そうして中止するにしても相当のくくりをつけて読者にうっちゃりを食わせるような行き方でないように仕末をつけて止めようではないかもう二三十回の処でたしかその年が終える、一月早々別の小説を載せるということは都新聞で幾らも例のあっ
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