は出版者及び文学者に大きな投機心と成金とを与えたけれども、その功過というものはまだ解決しきれない問題として今日に残されている。
 然し、円本時代が去ったとはいえ大菩薩峠の威力はなかなか衰えなかった、他の出版物は下火になってもこれのみは衰えないのである、そうして春秋社と著者との関係も時々何か小さなこだわりはあったけれども、大体に於て順調であって最近まで来たのであるが、遺憾ながら最近に至って非常に不本意なる事態を惹《ひ》き起すに立ち至ってしまったのは遺憾千万のことと云わねばならぬ。
 その原因は出版社としての春秋社が営業不振に陥ったということが原因で、春秋社の営業不振は一つはまた一般出版界の不振の為で、その出版界の不振というのも遡《さかのぼ》れば円本時代の全盛が遠因を孕《はら》んでいると見られないことはない、小生としては春秋社が振わなくなったからというて、それを疎んずるという理由は少しもないのだし、また栄枯盛衰は世の常だから良い時に共に良ければ悪い時にも共に助け合う位の人情を解せぬ男でもないのである、然し春秋社の営業難の為に自分の著作が犠牲になるということは忍び難いことである、春秋社の窮状は風聞には聞いていたけれども自分は敢《あえ》て立ち入ってそれを慰問するほどのことはないと思い、神田君もまた我輩のところへ窮を訴えて来るようなことは少しもなかったけれども、風聞によると容易ならぬ危険状態であると知ったものだから、そこで春秋社の経営とは別個に大菩薩峠刊行会なるものを起し、両人協同の内容で一年半ばかり進行して行ったがそのうちに小生はどうしても、これは協同ではいけない、自分一個の手に収めることでなければ折角集中した著作物が散々の犠牲になるということを見て取らざるを得なくなったものだから、そこで神田君の手から一切の権利を買収して専《もっぱ》ら自家の手にまとめるの方法をとった、これは実に小生としては予期しないことであり、これが為に余の受けた煩労と出費は多大のものであったけれども、兎も角弟に出資して全部の権利を神田側の手から買い取ってしまったのである、斯うして置かなければ前途の危険測るべからずと見て取ったからである、然しそうはしたものの最後の瞬間までも小生としてはこれは今は春秋社と切っても切れぬ関係にある神田氏の手に於てはいけないけれど、すべて明白にこちらで引受けてしまった後に春秋社
前へ 次へ
全43ページ中35ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
中里 介山 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング