方面の人物論から着手しようと思う。
同時代の人と我
余輩と同時代の人物のうち、今年即ち余輩の五十歳を標準として少くとも同時代の空気を呼吸した人で、今日は歴史的になっている人だけを挙げて、将来歴史的になるべき人でも現存して居られる分ははぶき度いと思う。
右の意味に於て私と同時代の世界の最大の偉人はトルストイであったと云って宜かろう、これは特に自分が文学に多少縁故のあるところから見た、ひが[#「ひが」に傍点]目ではなく、有ゆる方面を通じて、これを歴史に照してトルストイの偉大さは卓絶している、全世界の全人類史を通じて仮りに五人十人の偉人を挙げて見たところでトルストイの偉大さは矢張りそのうちから外れることのない程の大きさを持っている、十九世紀から二十世紀へかけて世界がこの偉人を持っていたということに大きな光彩を有している、この人は千八百二十八年に生れて千九百十年余が二十六歳の時にこの世を去った。
それから文学に於てこれに劣らぬ全世紀有数の文豪としてビクトルユーゴーがまた明治十八年まで(即ち余の生れた年)生きていた、現に日本人でもこの偉人に目のあたり面会した人がある、板垣退助伯爵の如きは慥《たし》かにその一人である、余は知人原氏の紹介をもって板垣伯に面会しユーゴーの印象に就いて聞いて置きたいつもりで電話までかけたがつい果さずいるうちに板垣伯は亡くなられた。
余が親しく風※[#「蚌のつくり」、第3水準1−14−6]《ふうぼう》を見た人物のうちでは救世軍の開祖ウイリヤムブース大将を以て最大不朽なる人物とする、日本へ来戦された当時東京座に於てブース大将の演説会が開かれた時、余も新聞記者の末席に控えて親しくその風采に接しその演説を終りまで聞いた、その時東京市長であった尾崎行雄氏が挨拶をし、島田三郎氏も何か話をしたと思うが両君共に甚だ背のひくい感じをしたが、今の山室中将その時は少佐位であったかしら、これが通訳を承ったが、これは実に両々相待って火花の散るような壮観を呈したのを覚えている、長身偉躯にして白髪白髯慈眼人を射るブース大将の飾らざる雄弁を引き受けて短躯小身なる山室軍平氏が息をもつかせずに火花を散らした通訳振りは言語に絶したる美事さであったと覚えている。
別の方面でこれ等のレベルに立つ偉人はまずトーマスエディソンであろう、この人は昭和五年余が四十六歳の時にこ
前へ
次へ
全43ページ中22ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
中里 介山 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング