脚色して貰う以上は予め意志を疎通させて置くと共に、出来上った脚色に就ては一応見せて貰わなければならない、そうして如何なる名家名手がやってくれるにしろ、原著者の作意精神に添わぬ時は御免を蒙《こうむ》るより外はない、菊池君とはその時が初対面であったが、文壇大御所というアダ名はその時分附いていたかどうかは知らないが、いろいろの文士連がいやに菊池君を担《かつ》ぎ廻っていることだけは認めた、その以前にも菊池君が大菩薩峠を賞《ほ》めたから、以て如何にその価値が分るなんぞというようなことを云い触らしていやに菊池を担ぐ者共が文壇や出版界にいるのが随分おかしいことだと思っていた、余輩の目から見れば、年齢にしては幾つも違うまいが、菊池君などは学校を出たての青年文士としか思っていなかったのである、その菊池君が大いに推薦するとか何とか云って取沙汰するのはおかしいと思った、一体あの文筆の仲間には皆んなそれぞれチェーンストーアーが出来ていてうっかり庇《ひさし》を貸そうものなら母屋をも取ろうとする仕組みになっていることを我輩も経験上よく見抜いていた。
それに菊池君に脚色させては新聞、雑誌、出版界、劇作家連の間に設けて置く彼等文壇一味の伏兵が一時に起ってそれこそいいように母屋をまるめて了う魂胆は眼に見えるようでもある。
兎に角我輩はその席上では菊池君をおひゃらかしてしまったというわけではないが、肝胆を照らして頼むわけには行かないで、余計な事ばかり喋べり散らしたので城戸四郎君などはイライラしていたようであった、その席はそれで済んだが、後で菊池君が脚色を辞退して来てしまった、興行者側では当惑したろうが自分の方では一向当惑しなかった、気に入った脚色が出来なければ上演しないまでの事だ、先方には幾らも好脚本はある筈、こちらは強《し》いて上演して貰う必要もないのである、然し興行者側としては折角ここまで来たものを脚色問題で頓挫せしむるのは忍びないことであると見えて、菊池君に代るべき脚色者をという話であったが生じいの脚色者では原著者が承知する筈はなし、そうかと云って岡本綺堂老《おかもときどうろう》あたりがやってくれれば申分はあるまいがあの人は絶対に他のものを脚色しない、そこで、興行者側も困り抜いて左団次一座の座附の狂言作者に切り張りをさせて誤魔化そうとする浅はかな魂胆を巡らそうとした策士もあったようだが、そん
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