知れないが、それをともかく動かしたのは大谷君の力と看なければなるまい、然し、大谷君がそれほどあの作に傾倒しているかどうかということは余程考えものである、兎も角も当時の歌舞伎劇団の中心勢力と見るべき左団次一党を動かして、こちらに花を持たせて置き、その次には著者を説いて活動写真に撮って大いに儲《もう》けたい、儲けてそうしてこの天災非常時の穴埋めにしたいというそろばん[#「そろばん」に傍点]から割り出したものと見ることも一つの看方《みかた》である。
 併し余輩も考えた、今や大震災直後の人心を見るとすさび切っている、そうして市民が慰安を求むるの念は渇者の水を求めるようなものである、演劇というものは市民にとって娯楽物でも贅沢物でもない、全く必須の精神的食糧であるということがこの際最もよく分った、そういう必要があってわざわざこの山の中まで要求がある以上は辞退すべきではない、それではそういう意味でわたしも奉仕的に出馬をしよう、併しながらあの作はいろいろ嫌な問題を惹《ひ》き起し、興行禁止を声明しているのだ、それを許す以上には立派にその意義と名分とを鮮明しなければならぬ、それにはまず都下の新聞関係者を招待して小生の意志を表明したい、それからまた左団次君その他とも会見したい、菊池君が脚色してくれるのは結構だがしかしこれも予《あらかじ》め会見して意志を疎通して置く必要がある、その辺のこと宜敷《よろしく》頼むということを伝えた、そのお膳立もすっかり出来たということで余輩は東京へ出かけて行った。
 松竹では芝の紅葉館へ東京の各新聞社の劇評家連を殆んど全部集めてくれた、城戸四郎君や川尻君も出席して席を斡旋《あっせん》して呉れた、然し余は実は斯ういうつもりではなかったのである、震災非常時の際ではあり、新聞記者諸君にもバラック建へ集って貰い、そうして小生は一通り興行承諾に対する意志を聞いて貰い謄写版刷でも出して直截簡明に震災非常時気分でやって貰うつもりであったのだ、然るに松竹ではやはり従来の例をとって記者諸君を招待したのだ、これは自分としては多少案外であったが、まあ松竹のして呉れるようにして置いてその翌日であったかまた同じ紅葉館の別室で城戸、川尻両君の立会いで菊池寛君と会見した。
 一体、菊池寛君に脚色させるということは誰れの名指しであったか希望であったか知らないが、誰れにしても小生は自分の作物を
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