の代物《しろもの》です、その技術に於てはあの著者も多少の手腕を持っているようですが、その他の事は問題になりませんよ」
「いや、それは酷だ、君はまだあの作物《さくぶつ》を通読していないか、そうでなければ読んでいながら理解するだけの頭がないのか、そうでなければ相当にわかっていながらわざと誣《し》うるものだ」
ここで一行が意外にも、かりそめの論評の火花を散らす。
その時、最初の馬上の旅人が軽く仲裁の任に当りました。
「実は、僕もあの小説の著者を知っているのですが、あれはわからずやの一種の変人で、決して諸君の問題になるような代物ではありません……今おっしゃる通りの芸術家でも何でもない、いわば戯作者で当人も大凡下々《だいぼんげげ》の戯作者と称して喜んでいるような始末ですよ」
「え、あなたは、あの小説大菩薩峠の著者を御存知なんですか」
Cなる青年が馬上の人を仰ぐ。
「知っていますとも――現にこの峠を越した多摩川の岸で船頭か粉挽をやっているはずです」
「そうですか――それはどうも意外でした」
そこで裂石の雲峰寺を出た紳士青年商人学生取り交《ま》ぜの一行が改めて馬上の人に注意することになりました。
「戯作者――徳川時代の通人、粋客、遊蕩児《ゆうとうじ》といったような半面を持っている男ですか」
「そうでもないのです、今もいった通り多摩川の岸で船頭や粉挽をやっている位の男ですからいわゆる通人という部類の男ではありますまい――遊戯思想ということをもう少し厳粛に考えているかも知れません」
「ところであの小説の中の Tsukue が主人公なのですか――よくあの男の性格をニヒリストだというのを聞きますが、して見れば著者は一種のニヒリズムをあの小説の中で歌っているのでしょうか。」
とAなる青年がいう。馬上の旅人がそれに答えて、
「ある読者が著者に向ってこういって来たそうです――もしも Tsukue に浅薄な改心の仕方をさせ、なまじいな善人とし、結末を仏門にでも帰せしめて大団円というような事にしたら、ただでは置かない――と。読者はあれをあのままで興味に見ているのですね、善悪は超越してあの性格そのものを珍らしがっているようです――ニヒリストといえるか知らん、しかし著者はあれで真面目な宗教信者ですから一種のニヒリズムを鼓吹讃美する意味で、あんな性格を示しているのではないと思います。Tsukue
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