人を訪ねた。彼女は生きた良人《おっと》を持っている未亡人であった。そうして彼と彼女との関係は、彼女が彼の母親の遠い親族であるというに過ぎなかった。彼女は三十初代の婦人であるにも拘《かかわ》らず、胃が弱く、その上悪い血が彼女自身の顔に薄赤い斑点を描いていた。彼女は類なく老婆心が強く、同情心も多分に持っている。
 彼は美角夫人の前で血を漲《みなぎ》らせながら、かなりの注意を怠らずに語った。彼は彼女の言葉ごとにその意味を探索した。彼は彼女の考えを彼自身の胸のなかで臆測した。彼は偽欺を固く包んで話をすすめた。――
「……で、僕はもう六ヶ月もすると大学を卒業します。その時|周章《あわ》てたところで仕方がありませんから……あなたは信じて下さいましょうが……あの田舎の優しい母親をこちらへ呼び寄せて一つ家に住みたいのです。僕は十分に落着いて、短かい六ヶ月の間にでも勉強したいのです。それについては過分の金が必要だろうと思います。」彼はずるく微笑《ほほえ》みを隠しながら、「そして御存じの通りいろいろ事情が起りましょうが……事情と言っても、今のところ僕にもはっきり解りかねます。ま、金が土台になる事柄です……
前へ 次へ
全91ページ中36ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
富ノ沢 麟太郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング