と》を、軽く自分の耳にいれながら、彼自身の胸のなかの我と話しはじめるのであった。
「おれは朝起きする、いや、少くとも昼前には起きなければなるまい。だが、おれはそんな資格などは、疾《と》うの昔に盗み去られてしまった。おれは自分勝手におれの持っていたものをみな盗み出してしまった。それでおれは自分で凍氷してしまった。おれ自身の内も外もいまは冬の最中に閉じこめられてしまった。そして、おれはおれ自身へ対して力がない。何故なら、おれは自分の魂をおれ自身で剽竊《ひょうせつ》して、誰かに売ろうとしているうちに、うっかりそれを取りおとしてしまった。」彼は自分の胸のなかでのみ怒鳴《どな》るようにぶつぶつ言いつづけた。「それでいておれの熱情は恐怖とともに満月のように輝いてきたが、その火花は見るかげもなく、何ものかに蔽《おお》い隠されるように吹き消されてしまった。そしてそれは定められた一点に発した一直線か一曲線かのように、何処《どこ》へか見当のつかないところへ逃走してしまった。ちょうどそれは、神様でも探すかのように、忍び足をしながら、何処かの廊下でも歩き廻っていることだろう。そしてそれは禁断の扉でも敲《たた》くかのように、一つの秘密の跡を逐《お》い廻していることであろう。若《も》しかしたら、その秘密は、おれの嫉妬《しっと》であるかも知れない。それにしてもおれなどには、最早嫉妬の感情などを持つだけの資格はない。おれはそれほどの罰あたりであるかも知れない。しかしおれは未だに過去の忘却の饗宴《きょうえん》の席へつれられてはいないのかも知れない。何故なら、このおれの執拗な抵抗を見てみろ!」と、彼は誰へ言うともなく呟いてから、彼自身を顧みて、この言葉が自分の気持の上だけのものであることを恥て怕《おそ》れながらも、優しく続けるのであった。「おれは真実悲観はしていたろう。そして無限に欠伸《あくび》をするほど草臥《くたび》れてしまった。しかしおれは絶望はしていない。おれはおれ自身で取りおとした自分の魂を新らしく探そうと彷徨《さまよ》うているのかも知れない。そしてそれに違いない。」彼は決定的に寧《むし》ろ言い含めるのであった。「それに違いはない。おれは産前のありとあらゆる精力を尽したかのように、何ものかを切望していた。それには先ず手近いところからと思って、いまさら言うまでもなく、一人の母親を、あの田舎のくすぶった他人の家に瞼《まぶた》をこすりながらやっと生きている……一人の法外もない馬鹿な子を夢にみている母親を……裏切られたとは感じながら、未だに彼女の子を胸のなかに描いている母親を……」と、彼は囁《ささや》きつづけて、はたと言い淀《よど》んだ。
「それはおれだ!」
「それはおれの母親だ!」
 そうして彼はいまさらのようにびっくりしてしまった。今のいままで彼は彼自身ではない他の人のことを夢に見ていたかのようにさえ感じていたそのことが、彼自身[#「彼自身」に傍点]のものであると思えば、寧《むし》ろ奇妙な気持になった。彼は想像の発明に耽っていた訳ではないが、自分ながら己のうかつなのんき者にはあきれてしまった。こう気づけば、彼はその不真面目な、鉛製の玩具のような彼自身が、更に形而下のものに思えた。彼はこんなふうに、彼自身を嘲《あざけ》りながらも、言葉では自分の身振りをつづけていた。
「おれは自分の母親をこの都へ呼び寄せる……おれは自分が身のほどに働いて……お前はもう働けないのだ。お前には最早働くなどという能力はないのだ。よく見てみろ、蜂の巣のように破れたその頭! 姿勢の外は飾れないその躯! 売却したも同じその胸のなかの魂のない心!……いや、これらは昔からの固定観念かも知れない。そしてこれらはおれの舞台上の過程であるかも知れない。こんなもののシンメトリーが、おれというものを、或型に入れるのかも知れない。それこそいままでにない新らしい型の混合の最初かも知れない。そしておれは形而上形而下以外の別のものになるのかも知れない。そしておれは不死の約束に入れられて、新らしいものの継続をつづけるのであるかも知れない。」彼は半信半疑の心で、自分自身を嚇《おど》しながらも、黄金の都会へでも来ているかのように独り言を囁《ささや》いた。「それにしても、おれは浅薄にも溜息とともに大学を止《よ》した。一たいその遠因は何に拠ったのであるか。それは思い出さなければならないほど遠い昔のことであろうか。あ、それはそれほど遠い過去のことであった、それ以来、おれはずっとアンニューイという生物のような智力に苦しめられつづけて来た。それは闇のなかに佇《たたず》む真黒な刺客と何らの変りもないものである。それは人間生活のうちで最も古くそして最も新らしく、時に従って更生を繰返している、その人生初期の観念に破れた、その反動のた
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