稽《こっけい》な様子で解剖台の上へ転輾《てんてん》とするのではあるまいかと思うと、彼は自分の狡猾《こうかつ》な態度が呪《のろ》わしくなって来た。そうして彼は、かなりぼんやりした文句ででも、親友青沼はすでに自分の敵であると悟らせようとしたことが恥かしくなって来た。それに両眼を閉じて頬《ほお》を顫《ふる》わしている親友が気の毒でもあった。よし彼の言ったことが狡猾《こうかつ》とは言われないまでも、取るにも足らない憤恨の安売であった。言わば憎悪にはじまった復讐の態度であった。そうしてそれらは唾を吐きかけられるものでなければならない、同時に意義を求める人々にとっては笑うべきことであったろう。それこそ文字通りに彼自身が言った貪婪な悪魔の身振りに違いなかった。彼は彼自身をメィフェストやヨブに擬《なぞら》えようと無意識のうちに考えていたのであったと思えば興味がないでもなかったが、却《かえ》って肉体的の憂鬱《ゆううつ》を感じさせられる方が遙かに多かった。そうして彼は自分の手で仕掛けた罠に陥ったようなものであったと思えば、自慢の出来る話ではない。そうして彼はとうとう独り言を言うようにしかも何気なくちょっとは思い出せない人の言葉を呟《つぶや》いて見た。
「や、これは全く日毎日毎の悲劇の永遠的な喜劇だ!」
 そうして彼は自分がその場にただ一人でいて、勝手な妄想に耽《ふけ》りきっているかのように振舞うた。
 間もなくして彼と青沼とは散歩に出かけた。電車は頭を痛めるという我儘《わがまま》な彼の申し出から二人は歩いた。空は重苦しく垂れ下って来そうであった。それに少し歩くとびっしょりと汗が滲《にじ》み出て来た。彼は不思議に落着かなかった。こんな気分が相手へ感じたせいか、彼が親友と腕を組もうとしたら、親友は恥かしそうにそれを拒んだ。彼は声を出して笑った。青沼は打たれた後のような顔色をして余り口も利かずに、絶えず何かを聞こうとするかのように耳を澄している様子であった。
 彼等は自動ピアノの据え附けてあるレストランで、軽い昼餐をとった。そこを出てしまうと、彼は突然思い出したことがあるかのように、親友へ別れを告げた。青沼は無言のまましかも彼自身の気のせいか、眼を潤《うるお》わせながら、数回頭を下げて挨拶《あいさつ》した。彼はもう少しのところで、親友の傍へ近寄って行き、その手を力強く握ってみる気になった。しかし彼は遠くの方に電車のカアブする響を聞いて、ひょっくり気が抜けてしまった。そうして彼は自分の足が、親友のそれとは反対の方向へ歩みはじめた時、全く別な考えに捉えられていた。そうして彼の目前には、華《はなや》かな躁宴の光景が、はっきりとしかも細やかに描き出されていた。すると彼は現に自分が金の持合せを欠いていることに寂しさを感じた。ふとこんな考えを逐いかけると、彼は自分の躯の置き場所に苦しむように感じた。彼は自分の躯が、足の指先きから痺《しび》れて来るようにさえ感じた。そうして今彼が歩いている弓型に撓《たわ》むその町の通りは、急にその反対の方へ反り返えるように思われた。彼はそんなとりとめない考えを楽しみながら歩いていた。そうしてこんなふうに考え続けている一方では、これらの考えを、夕暮時、気まぐれにであるが、反射のために輝やく金色の潮ででもあるかのように思っていた。それにしても現実の姿を失うこのことが、彼自身には大へんグロテスクな面影のように思えた。そうして彼はデカダンスのような熱情に煽《あお》られて、そんな物象の陳腐な幻想に多分の興味を惹《ひ》かれてもいた。
 その夜、彼は美角《みます》夫人を訪ねた。彼女は生きた良人《おっと》を持っている未亡人であった。そうして彼と彼女との関係は、彼女が彼の母親の遠い親族であるというに過ぎなかった。彼女は三十初代の婦人であるにも拘《かかわ》らず、胃が弱く、その上悪い血が彼女自身の顔に薄赤い斑点を描いていた。彼女は類なく老婆心が強く、同情心も多分に持っている。
 彼は美角夫人の前で血を漲《みなぎ》らせながら、かなりの注意を怠らずに語った。彼は彼女の言葉ごとにその意味を探索した。彼は彼女の考えを彼自身の胸のなかで臆測した。彼は偽欺を固く包んで話をすすめた。――
「……で、僕はもう六ヶ月もすると大学を卒業します。その時|周章《あわ》てたところで仕方がありませんから……あなたは信じて下さいましょうが……あの田舎の優しい母親をこちらへ呼び寄せて一つ家に住みたいのです。僕は十分に落着いて、短かい六ヶ月の間にでも勉強したいのです。それについては過分の金が必要だろうと思います。」彼はずるく微笑《ほほえ》みを隠しながら、「そして御存じの通りいろいろ事情が起りましょうが……事情と言っても、今のところ僕にもはっきり解りかねます。ま、金が土台になる事柄です……
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