る風船玉のように、彼の口から飛び出た。彼の躯はそのまま強直してしまった。前襟に添うて開け放された胸の下の方へ、その中心を外れて右の方へ拳大のものが皮膚とともに突起した。
「胃だ?」
「胃だ!」
 彼は涙声で、叫んだ。
「おれの胃が躯を抜け出ようとしたのだ!」
 彼はその突起した胃をそれがあるべきところへ揉《も》みこんだ。彼は非常な痛みを感じた。
 この日以来、彼はじっと寝床へ横わってしまった。――三日経った。四日、五日と時は過ぎて行った。――彼自身を床のなかへ残して、白と黒とのその時は、ゆっくりと一定の円周線上をリズミカルの歩調で、前方へ進んでいた。この間にあって、彼は幻影の進化が生活の上に現れる。というような法外もないことを妄想していた。

「物騒な人!」
 彼はこの言葉を忘れはしない。
「物騒な人だ!」
 下宿の女主人は、こう言って、来る人、会う人ごとに彼のことを饒舌《しゃべ》った。
 ―――――
 おれは物騒な人と言われるだけのものかも知れない。少なくともおれの感情……おれの最も麗《うる》わしい感情を、おれがおれの胸の奥底へおし隠してこのかた、おれはその感情を汲み出そう汲み出そうと藻掻《もが》きつづけた。……と、おれは思うのだが、ともかくおれは大変感じやすかった。……そののち、おれは疑うことを覚えた。憎むことを覚えた。おれは因循姑息に犯された。この虫こそおれの寄生虫であった。そしておれを引込思案の壺の中へ封じこめてしまった。おれはその壺の中で侮辱を感じた。そしておれはおれの敵を見た。敵を感じた。猜疑心を養った。その壺のなかで。憎悪を育てた。そしておれは自分を愛しそこねた。
 おれは何ものからも見棄てられたではないか、親友の青沼さえ、おれの身のほどを誤って、揶揄《からか》ったではないか。博士は意地きたなく侮辱した。おれは自分の躯を愛しそこねたために、自分で我が身を殺すのかも知れない。それにしても常に真実を考え、真実を思い……おれは常に真実を話した。しかしその真実はおれ以外の誰へも共通しないものであったかも知れない。おれは勝手に自分の真実を喋った。おれは自分の第二体、分身。おれは自分の数あるドッペルゲンゲルへ向って真実を話したのだ。親友の青沼さえ、あの偉大な博士でさえ、彼等はおれ自身であったかも知れない。あの敵でさえ、おれ自身に違いはないのだ。いや、彼等こそおれ自
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