と》を、軽く自分の耳にいれながら、彼自身の胸のなかの我と話しはじめるのであった。
「おれは朝起きする、いや、少くとも昼前には起きなければなるまい。だが、おれはそんな資格などは、疾《と》うの昔に盗み去られてしまった。おれは自分勝手におれの持っていたものをみな盗み出してしまった。それでおれは自分で凍氷してしまった。おれ自身の内も外もいまは冬の最中に閉じこめられてしまった。そして、おれはおれ自身へ対して力がない。何故なら、おれは自分の魂をおれ自身で剽竊《ひょうせつ》して、誰かに売ろうとしているうちに、うっかりそれを取りおとしてしまった。」彼は自分の胸のなかでのみ怒鳴《どな》るようにぶつぶつ言いつづけた。「それでいておれの熱情は恐怖とともに満月のように輝いてきたが、その火花は見るかげもなく、何ものかに蔽《おお》い隠されるように吹き消されてしまった。そしてそれは定められた一点に発した一直線か一曲線かのように、何処《どこ》へか見当のつかないところへ逃走してしまった。ちょうどそれは、神様でも探すかのように、忍び足をしながら、何処かの廊下でも歩き廻っていることだろう。そしてそれは禁断の扉でも敲《たた》くかのように、一つの秘密の跡を逐《お》い廻していることであろう。若《も》しかしたら、その秘密は、おれの嫉妬《しっと》であるかも知れない。それにしてもおれなどには、最早嫉妬の感情などを持つだけの資格はない。おれはそれほどの罰あたりであるかも知れない。しかしおれは未だに過去の忘却の饗宴《きょうえん》の席へつれられてはいないのかも知れない。何故なら、このおれの執拗な抵抗を見てみろ!」と、彼は誰へ言うともなく呟いてから、彼自身を顧みて、この言葉が自分の気持の上だけのものであることを恥て怕《おそ》れながらも、優しく続けるのであった。「おれは真実悲観はしていたろう。そして無限に欠伸《あくび》をするほど草臥《くたび》れてしまった。しかしおれは絶望はしていない。おれはおれ自身で取りおとした自分の魂を新らしく探そうと彷徨《さまよ》うているのかも知れない。そしてそれに違いない。」彼は決定的に寧《むし》ろ言い含めるのであった。「それに違いはない。おれは産前のありとあらゆる精力を尽したかのように、何ものかを切望していた。それには先ず手近いところからと思って、いまさら言うまでもなく、一人の母親を、あの田舎のくす
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