と一切を世間へ告げ散らしている、あの兇鳥《まがどり》が……あいつはおれの臆病な敵の間諜《かんちょう》だ……」彼にはまたしてもこの電流のようにすばやい閃《ひらめ》きが憫《あわ》れにも感じられて来た。そうして緊張は一秒一秒に増してくる。彼は自分の最後の頼りになる唯一の親友のところへ行けばいいのであると考えに逐われていた。それは精神的の悦びのように彼自身の躯のなかを馳《か》け巡《めぐ》った。いま彼は自分の名誉を毀損《きそん》されるというような安易な不幸に陥ろうとしているのではない。それは彼が彼自身の身をもって当らなければならないほどの不幸である。こういうふうに彼が考えれば、彼は自分の親友のところへ行くことを断念しなければならないようになった。というのは、若しも彼が青沼を頼って味方になって貰うものなら、親友は彼自身とともに彼の敵の的にならなければならない。これは断乎とした論理を含んでいる。可笑味《おかしみ》のある馬鹿気たことではないのである。それにしても彼は自分が盗みをしようとした考えにこだわっていて、それが看破されたことを恐れているのであろうか。否、彼はすでに愚鈍な技巧と真面目くさった態度の倫理家の妄語に苦しめられてはいない。しかし彼は自分へ対する言訳には、抵抗出来なくなっている。否、それはちょうど、偶然の出来事か、記憶を去ろうまいとする考えかが、いずれにしても一瞬はそれらの生命を保って、人間精神のなかへ、一生に一度ぐらいは巣喰うてみようとするその輪廓のない生物によって起させられる或印象と等しい価値を持っているものであるかも知れない。しかしそんなことはもうどうでもいいことになっている――……雨! 雨! 雨よ降れ、降れ! あの兇鳥が吐き出すおれの悪口を土のなかへ葬むるように強く降れ! おい、追放された憐れな雨!……――彼は雨が彼自身ででもあるかのように呟いていた。――……お前はいま涯しない虚空を失おうとしている。悲しんでなどはいまい、そんなことなどはあり得るものか。気儘《きまま》勝手に自由な跳躍を恣《ほしいまま》にするにいい雨ではないか。お前の見えない脚で何にもかも蹴散らしてくれ、思うさま叫んでくれ! 虚空さえ掴《つか》み損ねて呻吟《しんぎん》しているおれのために!……――そうして彼は彼自身の心臓を虚空へ掴み出して投げ捨てたかのように藻掻《もが》いた。その投げ捨てられた心臓
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