の金高であった。それにしてもそれは彼自身の愚かな気持の滓《かす》であって、事を暴露する爪の垢《あか》ほどのききめにもならないことは、考え惑うことが子供じみているだけに、聞く人にとっては実につまらないことであった。しかし彼自身の生活をいくらかでも古風なロマンティックにしてみたい癖のある彼には、そんなふうに思い迷うのが興味を惹《ひ》かないこともなかった。そうして彼は人間が生きると言うことは、嘘の殿堂を築くことに過ぎないと思いながらも、相談にならない幻想を抱いてみたくてしようがない。その幻想にひたりきっている間、彼は自分が彼自身ではないもっと別のものになった気がしている。それこそ偽善を上塗りする高貴と言うものではないかと考えるのであるが、そこからは絶えず天啓とでも言われるものが感じられるような気がしてならなかった。そうなふうにこだわって行く彼であったから、その金の問題にしたところで、若しかしたら置き忘れたのであるかも知れないと、考えながらもそんな途方もないところへひきずられて行って、そこへ迷い込むのであった。
 そうして彼はかなり部厚い書物のなかを札の形に切り抜いて、そこへその現金を隠して置くか、挟み込んで置くかしたのであろう。それを彼はすっかり胴忘れしているのかも知れない。こんな疑念が絶えず彼自身の心のなかを往来していた。そのために彼は一層本気になって、その金の行方を探し求めたが、それは全く無駄であった。そうして彼はこんな無駄骨を折る前に金はちゃんと使い果してしまったと知っていたことを、いまになってはじめて気づいたように思い出すのであった。そうして彼は疲労と困憊《こんぱい》との二様にいじめまくられるのであった。それにもこりずに、彼は手匣《てばこ》とか行李とかを、もう一度一々性急に、しかも丹念にひっくり返して検《しら》べてみるのであった。ところが、そのなかに見られるものは、きっときまってみな活動写真のプログラムとか芝居の筋書とかそんなものに限られていた。
 そうして彼自身の背丈の半ばにも過ぎるに違いないそのプログラムのなかには、不思議にもいまだに心のなかに残っているユニヴァサル・サアカスのグラフィックなども雑っていた。彼はそんなものを現に目前に見物しているかのように思い出していた。
 或日、彼はそんなものの常設されている所へ遊びに行って、紫色のシャツを着たローズアが、ただ
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