える。例えば今日わが国のブルジョア文壇でも多少話題になっている芸術家の社会的地位とか、芸術と大衆との関係――大衆芸術の問題や批評家としての大衆の意義――とか、文芸家の活動形態や活動施設(協会や図書館其の他)とか、芸術とジャーナリズムとの関係や、ジャーナリズムの文芸上の意義とか、そう云ったものが最もアデケートの形で、と云うことは即ち社会学的にという事だが、取り上げられ、その相当実証的な材料と歴史的な考察とが提供されている。文学の社会性というような問題を考えるについて、一応の出発点として参照を必要とするものだと考える。無論吾々は文芸に限らず一般にイデオロギーの理論に於て、之を単に社会的に[#「単に社会的に」に傍点]分析する段階に止まることは出来ない。之を美学的価値に於て理解すべく社会的分析を行なうことこそ史的唯物論によるイデオロギー論でなければならぬ。その限りシュッキング流の方法は社会学主義でありまだ少しも社会科学的ではない(この点F・シルレル『文芸学の発展と批判』――熊沢復六訳――のシュッキング批判を見よ)。だがシュッキングの特色は、彼が文芸そのものを初めから[#「初めから」に傍点]趣味
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