派に属する哲学などが、ハイデッガーの仕事には何等の注意も払っていないように見える。彼等新カント主義哲学者達は、多少とも自然科学的認識に信用を置いているのである、従って容易にハイデッガー風の超物理学的な即ち形而上学的な考えを受け取ることが出来ない。
C しかしハイデッガーが一般に受け入れられた理由は次のような方面からも強調されねばならないと思います。
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それは小ブルジョアの生活の窮迫が一方に於ては小ブルジョアを積極的なファッショ運動へと駆り立てる。
又、一方には小ブルジョアを非常に絶望的気分に陥れます、だからウィットフォーゲルが指摘して居るように、ハイデッガー哲学は、シュパンなどが真正面からファッショを弁護するものとはいくらか異っていますが、結局、小ブルジョアの不安の根源を現実的に説明することなく、超越的な形而上学の問題に祭り上げて、ファッショの御用を勤めるのだと思います。
なおハイデッガー哲学が非常に宗教的、特にカトリック的な色彩が強いことは、一方に於ては現在ドイツに於て、政党方面ではカトリック中央党の進出なんかを思い合わせることが出来る。また現在ドイツのパ
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