れるような氏の訳に出会った経験もある。最近の一例では『文芸学の方法』(清和書店版)の内で、イギリス文明史を書いた「ボークル」云々という言葉が数ヵ所出て来たが、之はバックルでなくてはならぬだろうと思った。処が旧ナウカ社版、白揚社新版のミーチン・イシチェンコの『唯物論辞典』にも矢張りバックルがボークルとなっているから、この誤りは殆んど伝統的なものであるらしく、決して熊沢氏一人の誤りではないのでないかとも考えた。こういうような翻訳検察官になることは誰にでも割合に容易であり、偶々熊沢訳は検察官の目につき易いのが事実であるというにすぎぬのだが、併しそれがすぐ様責任と良心との問題だと云って了っていいだろうか。
 私はかつて斎藤※[#「日+向」、第3水準1−85−25]氏のスピノザ全集訳に対する或る精鋭な(但し当時殆んど無名な)古典学者の非難(『思想』にのった)に就いて、『東朝』紙上でこういう意味のことを書いたことがある(次項を見よ)。著作翻訳其の他を品隲するに際しては、その人の之までの業績全体が持っている社会的[#「社会的」に傍点]功績の程から批評されねばならぬ。それから各種の社会的条件もそこへ入
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