れば、浅墓の極みである。物を少し親切にリアリスティックに掴もうとすると、そう棒ちぎりを振りまわすように行かなくなる。批評論文にしても、少し気をつけて読むためには、賛成している処に反対しようという用意を見、反対している処に賛成の素地を見出す底の用心がなくてはならぬ。結論は賛否ハッキリ出来る場合が勿論極めて多いわけだが、その結論まで行く迂余曲折が論文の生命で、そうでなければ折角通過した地点も容易に失われねばならぬだろう。論文の進め方は戦線の前進のように考える必要がある。前にさえ行けばいいというわけのものではないのだ。いや、結論ということ自身をもっと慎重に理解すべきであって、ただの結論は何の実力もない独断と同じである。結論は分析と総合とを通して得た行論[#「行論」に傍点]の結論以外のものではなかった筈だ。
論文は出来るだけ簡潔に卒直に書かねばならぬ。余計な尾鰭は原則として邪道の因である。だが論文は幼稚であってはならぬ。用意周到に事物の表裏を点検しなければならぬ。その意味では、出来るだけ複雑で皮肉で触角の伸びたものであってほしい。そしてそういう雑多を整理した上での、卒直簡潔が本当の水際立った
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