うでは、その論文は要するに何の役にも立っていないのであって、ただ、こうだああだ、と主張だけを書いた方がまだしも正直なことで、論文の体裁などはコケおどしの見せかけに過ぎなくなる。つまり既知の常識を常識として反覆するだけで、その常識を掘り起こすでもなく、糾明するでもなく、高めるでもない。こういう論文はアタマの悪い論文である。そしてアタマの悪い論文は、往々歓迎されるものであるのも忘れてならぬ事実だ。つまり読者の既知の世界に抵抗して行くだけの骨のない論文は、一種の人間的弱さから来る好意を以て迎えられる。――アタマの悪い論文に堕さぬためには、論文は作文でないことを注目してかかる必要があろう。勿論アタマのよい論文で、作文としても修辞的で愁訴力に富んでいたり扇動力を持っていたりすれば、それに越したことはない。
論文の生命は、あくまで分析を通しての総合という手口にあるのである。分析とは大体区別を明らかにすることだ。同じ言葉や意味の近かそうな言葉を区別して、夫々の通用範囲をハッキリさせ、それを使って事物を解明して行くことである。総合とは之に反して、連関と対立物の統一とを明らかにすることである。お互いに
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