を与えない本は、その当座は自分に役に立たぬ身に添わぬ本と思えばよい。そして次のは、割合あてズッポーに選べばよい。問題にひっかかって来ると、本の選択などは本自身が教えて呉れるだろうと思う。
一定の限られた解決を必要とするような形での研究上の選書法は、恐らくその時々で異るだろう。私が考えて見たのは、半ば研究的で半ば教養のための、選書法のことである。
[#改段]
5 論文の新しい書き方
文章の書き方、論文の書き方、については、旧くから色々云われている。書き始めはどう、中の処はどう、結尾の辺はどう、という具合に、何かの範型があるように云われて来ている。なる程唐宍八家文などにはそういう手本になるようなエッセイが大分ある。だが私は、韓退之のようなああいう艶っぽいくせに鈍重な「論文」は大きらいなのである。一体、支那の古典文が大方そうなのかも知れないが、あれは作文であって論文ではない。作文には規範めいた定式は考えられるが、論文にそういうものはあり得ないだろう、というのが私の考えである。特に大臣の演説や政治家や軍人の教化的講演をここから連想させられると、もう我慢が出来ない。なぜ日本の支配者
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