得べき国民の宗教意識を指す。一切の教科はここに発しなければいけない。修身・作法・国語・歴史・公民科・等々は云うまでもなく家事や理科に至るまで、専らこの宗教教育に帰着せねばならぬとする。
処で日本国民の宗教的情操は又、仏教・儒教・神道・と離れてはあり得なかったし、又あり得ないと考えられる。つまりこの三つの「教え」を単に道徳的内容と見ることが誤りで、之を宗教的な内容だと見ねばならぬとする。かくて日本国民の伝統たる例の宗教的情操は、神仏儒を一丸としたような内容を持つことによって、まさに「教学」となり「学問」となるものでなくてはならぬ。日本国民の「宗教的情操」とその東洋的な「教学」とが、どう結びついているのかは、実はあまり明らかにされていないと思うが、とに角之が日本文化の伝統であり従って又日本教育の伝統であるということは、正に大いに首肯すべきだろう。
だが問題はこの伝統がなぜ明治政府によって断絶せしめられたように見えたかである。夫は単に「誤った」教育政策などに帰することは出来まい。日本の資本主義と夫の基底に横たわる生産技術とを見逃しては、前資本主義的伝統の理解は途方に迷うだろう。著者はこの
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