4 「文化的自由主義者」としてのA・ジード
ジードの『ソヴェート旅行記』の全訳が出たので、早速読んだ。三分の一程は中央公論で読んだのだったが、新聞などで紹介を見た時教えられたジードの怪しからぬ(?)点は、この三分の一の内にはあまり出ていなかった。寧ろソヴェートへの好意の方が目立っていた位いだ。この感じは、全訳を読み了って多少は修正されはしたが、併し私の根本的な感じには変りがないのである。
ジードはジードなりにソヴェートを可なり好意的に見ようとしている。元来ジードは決して唯物論者ではなく、そういう立場に立ったコンミュニストでもなかった筈だ。之は誰しも知っていた筈である。彼は個人主義と理想主義とに立脚した「コンミュニスト」に他ならなかったのだ。だから彼がソヴェートに就いて懐いた予備観念が又、極めて理想主義的なものであったことは当然なので、その理想主義がソヴェートの現実に行き当って、一つの動揺に陥った。信頼と共に甚だしい不満を覚えた。ただそれだけのことなのである。
併しそこから偶々彼の地金である色々の弱点が露出せざるを得なかったのである。彼のようなタイプの進歩的な自由主義者は
前へ
次へ
全273ページ中20ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
戸坂 潤 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング